わが家には、その昔父母が子供たちにと大枚はたいて買ってくれた、「少年少女世界文学全集」(講談社)がある。
四国今治の繁華街で衣料品店を営んでいたのだが、高齢・病気がちになり、商売を畳んで、郊外に引っ越した時、もう、この全集を読む子供は巣立ったので、ここには不要と、私がもらったもの。
我が家でまだ小さかった子供達が、時々読んでいたもの。
その子供達も巣立ち、読む人が我が家でもいなくなった。
買ってくれたものの、読んだのは半分程度だったので、今度は私が、少しずつ読み始め、読んでしまうと、孫が読めばいいと、子どもたちの家庭に送っている。
今読んでいるのは、北欧編でデンマークのアンデルセン(1805~1875)の童話集。
人魚姫等、今も読まれている有名な童話がたくさん。
今日、ページを開くと、コウノトリという童話。
4匹のコウノトリの子供の話。
ヒナがいるのを見つけて、近所の子供達が、意地悪な歌を毎日歌ったということから始まる。
「一番目は くびられて 二番目は つきさされ 三番目は火で焼かれ 四番目はぬすまれる」という物騒な歌。
ヒナは怖がったが母コウノトリは無視しなさいと。
やがてヒナは成長し、飛べるように。
この子供たちに 仕返し しようと相談。
「みんなで舞い降りていって、あの子供たちの目玉をくりぬいてやろうか。」
とコウノトリの子供たちはいいました。
「いいえ、あんなものはほうっておきなさい。」とお母さんはいいました。
「おかあさんのいうことだけを聞いていればいいのよ・・・」
ヒナたちは立派なコウノトリになり、エジプトに移動することになり、意地悪をした子供たちに仕返しをすることになると、母鳥は、次のように言い聞かせた。
「いまおかあさんは、とてもいいことを考え付きましたよ。わたしは人間の赤ちゃんがねているお池を知っています。わたしたちはそこへ行って、よくその赤ちゃんを、人間のおとうさんとお母さんのところへ持って行ってやるの。
かわいい小さな赤ちゃんたちは、そこでねんねして、大きくなってからではとても見られないような、楽しい夢をみているんだよ。そして人間のおとうさんやおかあさんは、みんなそういう赤ちゃんを欲しがっているし、子どもたちは子供達で、みんな、いもうとや弟を欲しがっているの。
だからさあ、これれからそのお池に飛んで行って、あの悪い歌を歌たってコウノトリをからかわなかった子供たちのところへ一人ずつ赤ちゃんをもっていってやりましょう。ほんとうにあの子たちは何もしなかったんだもの。」「それじゃあ、一番初めに歌い出した、あのにくらしい、意地悪の子は? あの子はどうしてやるの。」
わかいコウノトリたちは叫びました。
「そのお池にはしんだ夢をみて、死んでしまった赤ちゃんもいるんだよ。あの子のところには、そんな子を連れて行きましょう。そうすれば、死んだ小さい弟を連れてきたきたといって、あの子はきっと泣き出しますよ。だけどほら、お前たちも忘れてやしないだろう。「動物をからかうのは悪いことだ」っていった子があったね。あのいい子のところへは、おとうとと妹と、両方ともつれていってやりましょうね。・・・」
こういうわけで、みんなは、お母さん鳥の言ったとおりにしました。・・・」
赤ちゃんはコウノトリが運んでくるという話は、広く、言い慣わされているが、アンデルセンのこの童話がスタートなのかもと思いました。
ネットで見るとコウノトリが赤ちゃんを運ぶという話は、アンデルセン以前からノルウェーやドイツでもあったそうで、アンデルセンはこれにヒントを得て、この話を作ったらしい。
世界中に、広まったのは、このアンデルセンの童話が契機になっているとのこと。
いま読むと、アンデルセンの童話は、結構リアルで、人の生き死にも、包まず描かれている。子供の時だけでなく、大人になっても、忘れがたい童話が満載。
四国今治の繁華街で衣料品店を営んでいたのだが、高齢・病気がちになり、商売を畳んで、郊外に引っ越した時、もう、この全集を読む子供は巣立ったので、ここには不要と、私がもらったもの。
我が家でまだ小さかった子供達が、時々読んでいたもの。
その子供達も巣立ち、読む人が我が家でもいなくなった。
買ってくれたものの、読んだのは半分程度だったので、今度は私が、少しずつ読み始め、読んでしまうと、孫が読めばいいと、子どもたちの家庭に送っている。
今読んでいるのは、北欧編でデンマークのアンデルセン(1805~1875)の童話集。
人魚姫等、今も読まれている有名な童話がたくさん。
今日、ページを開くと、コウノトリという童話。
4匹のコウノトリの子供の話。
ヒナがいるのを見つけて、近所の子供達が、意地悪な歌を毎日歌ったということから始まる。
「一番目は くびられて 二番目は つきさされ 三番目は火で焼かれ 四番目はぬすまれる」という物騒な歌。
ヒナは怖がったが母コウノトリは無視しなさいと。
やがてヒナは成長し、飛べるように。
この子供たちに 仕返し しようと相談。
「みんなで舞い降りていって、あの子供たちの目玉をくりぬいてやろうか。」
とコウノトリの子供たちはいいました。
「いいえ、あんなものはほうっておきなさい。」とお母さんはいいました。
「おかあさんのいうことだけを聞いていればいいのよ・・・」
ヒナたちは立派なコウノトリになり、エジプトに移動することになり、意地悪をした子供たちに仕返しをすることになると、母鳥は、次のように言い聞かせた。
「いまおかあさんは、とてもいいことを考え付きましたよ。わたしは人間の赤ちゃんがねているお池を知っています。わたしたちはそこへ行って、よくその赤ちゃんを、人間のおとうさんとお母さんのところへ持って行ってやるの。
かわいい小さな赤ちゃんたちは、そこでねんねして、大きくなってからではとても見られないような、楽しい夢をみているんだよ。そして人間のおとうさんやおかあさんは、みんなそういう赤ちゃんを欲しがっているし、子どもたちは子供達で、みんな、いもうとや弟を欲しがっているの。
だからさあ、これれからそのお池に飛んで行って、あの悪い歌を歌たってコウノトリをからかわなかった子供たちのところへ一人ずつ赤ちゃんをもっていってやりましょう。ほんとうにあの子たちは何もしなかったんだもの。」「それじゃあ、一番初めに歌い出した、あのにくらしい、意地悪の子は? あの子はどうしてやるの。」
わかいコウノトリたちは叫びました。
「そのお池にはしんだ夢をみて、死んでしまった赤ちゃんもいるんだよ。あの子のところには、そんな子を連れて行きましょう。そうすれば、死んだ小さい弟を連れてきたきたといって、あの子はきっと泣き出しますよ。だけどほら、お前たちも忘れてやしないだろう。「動物をからかうのは悪いことだ」っていった子があったね。あのいい子のところへは、おとうとと妹と、両方ともつれていってやりましょうね。・・・」
こういうわけで、みんなは、お母さん鳥の言ったとおりにしました。・・・」
赤ちゃんはコウノトリが運んでくるという話は、広く、言い慣わされているが、アンデルセンのこの童話がスタートなのかもと思いました。
ネットで見るとコウノトリが赤ちゃんを運ぶという話は、アンデルセン以前からノルウェーやドイツでもあったそうで、アンデルセンはこれにヒントを得て、この話を作ったらしい。
世界中に、広まったのは、このアンデルセンの童話が契機になっているとのこと。
いま読むと、アンデルセンの童話は、結構リアルで、人の生き死にも、包まず描かれている。子供の時だけでなく、大人になっても、忘れがたい童話が満載。
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