十月最初の土曜日、1日は足利市の石仏巡りに出かける。最初に行ったのは、先週に佐野市在住の山口氏から単制石幢六地蔵の所在地をご教示いただいた、福富町の普門寺である。供養塔としての単制石幢六地蔵だが本体に傷もなく、六地蔵の本体像高が36センチもある。そしてその台座には、たくさんの長氏一族が先祖菩提のためにこれを建立した石文が刻まれている。それを解読するには拓本を取る必要があるが、今回は取り急ぎ確認だけとして写真を撮り、紀年銘を書き写して終わりとする。
何しろ、その隣には宝篋印陀羅尼経の刻まれた宝篋印塔があるのだから、どうにも石文の書き写しはそちらの方ばかり気になって仕方がない。
その調査を終えてから、じっくりと境内にあるその他の碑塔を眺める。その中の一つの青面金剛塔に刻まれた邪鬼が面白い。2邪鬼が合体した姿である。と同時に、そこに見える鶏の姿が何とも可愛い私好みである。それはもう、どう見ても鶏には見えず、小鳥の姿である。これらは、石仏巡り記に掲載しよう!
そうそう、今日の足利へ来た理由は、もう少し「大勝金剛」について探索してみようと思っているので、ここで時間を食っているわけには行かない。
少し戻って、瑞穂野町へ入り、たくさんの石仏がある満宝寺へまず行く。ここでも長文の宝篋印陀羅尼経を書き写してから、延宝8年塔を始めとした庚申塔やら、大きな阿弥陀如来像などを調査するも、大勝金剛に関する匂いは何も感じられない。
その後も、町内をあちこち廻って下日向地区の神明宮へ到着。ここで、面白い表情の狛犬と遭遇。その面白さに一人で笑いながら、写真を撮る。時計はとっくに12時を過ぎているが、面白いのがあると昼食どころではない。その後は、同じ町内の道路沿いで「千庚申塔」に出会ってしまったからには、空腹も忘れて調査する。そんなこんなで、ようやく午後1時過ぎに野田町の下野田地区へ入ってから道路沿いの阿弥陀堂で昼食とする。
この阿弥陀堂にも延宝庚申塔等がある。そして同地にある「馬頭観世音」塔の裏面には、渡良瀬川の改修工事にてここへ移転云々という文字があるのを見て、もしかしたらこの周辺に「大勝金剛」と関わりのある碑塔が出てくるかも知れないと、昼食もそこそこに周辺を見て歩くが、そう簡単に出てくるはずもなく、全てが空振りに終わる。
今日一日の調査で、既に調査資料は30基を越えているのと、石仏巡りもそろそろ時間が来たので、帰路途中に瑞穂野町の万福寺へ立ち寄ってから帰ることにする。万福寺さんで延宝庚申塔の写真を撮るも、光線の具合から午前中でないと逆行となって上手く撮れない。悔し紛れに、同地にある宝篋印塔の半分近くが剥離のために読めない宝篋印陀羅尼経を時間をかけて解読する。
その後は、収穫期を迎えた田の畦道に満開となって咲いているマンジュシャゲを眺めながらのんびり帰路につく。
そして帰路についてからひと騒動。どこかのお寺さんに、宝篋印塔調査資料ファイルを置き忘れてきた。慌てふためいていると電話があって、「当寺で境内に忘れていった資料を見つけたので預かっています」という、思いがけなくもご親切な電話を戴く。まったく、感謝!感謝!の言葉しかない。来週は行けないので、再来週にお伺いすることにして、それまで預かっていただくことにする。
今週も、大勝金剛様には出会えなかったが、興味のある碑塔がたくさん見られたし、宝篋印陀羅尼経も3基も確認できた。これからノンビリ整理することにしよう。
何しろ、その隣には宝篋印陀羅尼経の刻まれた宝篋印塔があるのだから、どうにも石文の書き写しはそちらの方ばかり気になって仕方がない。
その調査を終えてから、じっくりと境内にあるその他の碑塔を眺める。その中の一つの青面金剛塔に刻まれた邪鬼が面白い。2邪鬼が合体した姿である。と同時に、そこに見える鶏の姿が何とも可愛い私好みである。それはもう、どう見ても鶏には見えず、小鳥の姿である。これらは、石仏巡り記に掲載しよう!
そうそう、今日の足利へ来た理由は、もう少し「大勝金剛」について探索してみようと思っているので、ここで時間を食っているわけには行かない。
少し戻って、瑞穂野町へ入り、たくさんの石仏がある満宝寺へまず行く。ここでも長文の宝篋印陀羅尼経を書き写してから、延宝8年塔を始めとした庚申塔やら、大きな阿弥陀如来像などを調査するも、大勝金剛に関する匂いは何も感じられない。
その後も、町内をあちこち廻って下日向地区の神明宮へ到着。ここで、面白い表情の狛犬と遭遇。その面白さに一人で笑いながら、写真を撮る。時計はとっくに12時を過ぎているが、面白いのがあると昼食どころではない。その後は、同じ町内の道路沿いで「千庚申塔」に出会ってしまったからには、空腹も忘れて調査する。そんなこんなで、ようやく午後1時過ぎに野田町の下野田地区へ入ってから道路沿いの阿弥陀堂で昼食とする。
この阿弥陀堂にも延宝庚申塔等がある。そして同地にある「馬頭観世音」塔の裏面には、渡良瀬川の改修工事にてここへ移転云々という文字があるのを見て、もしかしたらこの周辺に「大勝金剛」と関わりのある碑塔が出てくるかも知れないと、昼食もそこそこに周辺を見て歩くが、そう簡単に出てくるはずもなく、全てが空振りに終わる。
今日一日の調査で、既に調査資料は30基を越えているのと、石仏巡りもそろそろ時間が来たので、帰路途中に瑞穂野町の万福寺へ立ち寄ってから帰ることにする。万福寺さんで延宝庚申塔の写真を撮るも、光線の具合から午前中でないと逆行となって上手く撮れない。悔し紛れに、同地にある宝篋印塔の半分近くが剥離のために読めない宝篋印陀羅尼経を時間をかけて解読する。
その後は、収穫期を迎えた田の畦道に満開となって咲いているマンジュシャゲを眺めながらのんびり帰路につく。
そして帰路についてからひと騒動。どこかのお寺さんに、宝篋印塔調査資料ファイルを置き忘れてきた。慌てふためいていると電話があって、「当寺で境内に忘れていった資料を見つけたので預かっています」という、思いがけなくもご親切な電話を戴く。まったく、感謝!感謝!の言葉しかない。来週は行けないので、再来週にお伺いすることにして、それまで預かっていただくことにする。
今週も、大勝金剛様には出会えなかったが、興味のある碑塔がたくさん見られたし、宝篋印陀羅尼経も3基も確認できた。これからノンビリ整理することにしよう。