今日は雨にも関わらず、今月1日以来の石仏巡りである。最初に足利市川崎町地域を一巡りして、数基の庚申塔を調査。そして前々から気になっていた薬師寺を訪ねると、立派な宝塔型宝篋印塔があるので、雨にもめげず、奥様が出てきて呆れているのも気にせずに銘文を写し取る。なかなかの長文に手間取って記入用紙はびしょ濡れであるが、これで今日も新たな陀羅尼經が1基手に入ったと大満足!
このお寺さんも元々は渡良瀬川の中にあったのをここへ移転したことが看板に書いてあるので、もしかしたら大勝金剛に関する碑塔があるかも…と、その後は真剣になって境内を探すがそれらしきものは見つからず。残念!
その後は、前回忘れ物をしてきた瑞穂野町の満宝寺を訪ねる。住職ご夫妻が在宅で、庭でお茶などをご馳走になりながら時間をノンビリ過ごす。何しろ、雨がふっているのだから、と言い訳しつつ。昼近くになって、やっと重たい腰を上げて、少し離れた福富町の円城院さんを訪ねる。
ここには、前に佐野市在住の山口さんから重制石幢六地蔵があると教えられていたからである。享和二年銘のなかなか立派な石幢である。台座に散文もあるのが気に入った。そして同地には、四臂青面金剛像容塔もある。しかもバンザイ型で二猿二鶏の優れものである。銘文などが水洗いしただけでは読めないので、仕方なしに拓本を取って完了。そこへ当寺の総代をしている中島氏が見えられて、出来ればそこにある宝篋印塔の内容を知りたいと云う。今日は、雨も降っていることだからその宝篋印塔の存在だけを確かめられたので良しとし、銘文解読は次回にしようと考えていた矢先の話しである。何しろその銘文やらは浅彫りなので、見ただけでは読めない代物。拓本を取るのが面倒な今日の天気なのであるが、頼まれればイヤだとも言えず、仕方なしに拓本を取ることにする。一方、中島氏はその拓本によって出てきたかすかな文字を読もうとしているが、所詮は初めての方には判読できず、頭を抱えている。そして、ちょっと自宅へ行って来るといって戻ってくると、手には用紙と筆記具を抱えている。そして私に差し出して、そこへ書き出してくれと云う。その熱心さに根負けして、後日写真と一緒に読み下しを付けてお送りする約束をする。
時計は既に2時半。雨は小降りになったものの、どんよりと曇っているのでこれ以上の石仏巡りを続ける気分にならず、今日はここまでとしてノンビリ帰宅する。
そんな訳で、今日の石仏巡り成果は少なく、HPへの画像紹介は簡単で良いと思っている。早速、明日にでも掲載することにしよう。でも、その前に今夜は、頼まれた宝篋印塔の銘文解読が待っているが…。
このお寺さんも元々は渡良瀬川の中にあったのをここへ移転したことが看板に書いてあるので、もしかしたら大勝金剛に関する碑塔があるかも…と、その後は真剣になって境内を探すがそれらしきものは見つからず。残念!
その後は、前回忘れ物をしてきた瑞穂野町の満宝寺を訪ねる。住職ご夫妻が在宅で、庭でお茶などをご馳走になりながら時間をノンビリ過ごす。何しろ、雨がふっているのだから、と言い訳しつつ。昼近くになって、やっと重たい腰を上げて、少し離れた福富町の円城院さんを訪ねる。
ここには、前に佐野市在住の山口さんから重制石幢六地蔵があると教えられていたからである。享和二年銘のなかなか立派な石幢である。台座に散文もあるのが気に入った。そして同地には、四臂青面金剛像容塔もある。しかもバンザイ型で二猿二鶏の優れものである。銘文などが水洗いしただけでは読めないので、仕方なしに拓本を取って完了。そこへ当寺の総代をしている中島氏が見えられて、出来ればそこにある宝篋印塔の内容を知りたいと云う。今日は、雨も降っていることだからその宝篋印塔の存在だけを確かめられたので良しとし、銘文解読は次回にしようと考えていた矢先の話しである。何しろその銘文やらは浅彫りなので、見ただけでは読めない代物。拓本を取るのが面倒な今日の天気なのであるが、頼まれればイヤだとも言えず、仕方なしに拓本を取ることにする。一方、中島氏はその拓本によって出てきたかすかな文字を読もうとしているが、所詮は初めての方には判読できず、頭を抱えている。そして、ちょっと自宅へ行って来るといって戻ってくると、手には用紙と筆記具を抱えている。そして私に差し出して、そこへ書き出してくれと云う。その熱心さに根負けして、後日写真と一緒に読み下しを付けてお送りする約束をする。
時計は既に2時半。雨は小降りになったものの、どんよりと曇っているのでこれ以上の石仏巡りを続ける気分にならず、今日はここまでとしてノンビリ帰宅する。
そんな訳で、今日の石仏巡り成果は少なく、HPへの画像紹介は簡単で良いと思っている。早速、明日にでも掲載することにしよう。でも、その前に今夜は、頼まれた宝篋印塔の銘文解読が待っているが…。