石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

3月11日の石仏巡り記

2006年03月12日 | Weblog
3月11日土曜日は、一人で足利市の西部地区へ石仏調査に出かけました。今日は、高橋氏を誘うには申し訳ないような、病膏肓たる調査をしたくて誘いませんでした。何しろ今日は、単純で時間ばかりを要する作業のため、高橋氏に飽きられ馬鹿にされることまちがいなしだからです。
目的は、先週に高橋氏と訪れた鹿島町の地福院の石造物調査です。前回は、時間の関係で途中で切り上げて悉皆調査をしていなかったので、その残りを調査したく訪れました。まずは、山門脇にある、標柱の土台を掘り起こしての銘文解読ですが、これには手こずり、結局拓本を取らなければならなくなりました。また、六体六地蔵の名称が面白いので、改めて眺めてはこちらも再確認の意味でも銘文を採拓しました。そんなこんなで、この地福院に別れを告げたのは12時近くになってしまいました。今思えば、この時に渡良瀬川の土手で昼食にすれば良かったのですが、小俣町の山で食べようとしてしまったことです。そして小俣町へ向かう途中で、次に訪ねる予定だった長福寺へ、信号の変わり目にあわせてハンドルを切って立ち寄ってしまったのです。
そこには、寶篋印陀羅尼經の梵字陀羅尼経が四面に刻まれた宝塔型寶篋印塔があります。早速住職さんに許可を頂いてから、昼食も忘れて始めてしまいました。何しろ梵字陀羅尼経ですから、それに出会えた嬉しさは隠しようもなく、本気になって拓本を取らなければなりません。風にめくられる恐怖を覚えながら、それでも何とか完了。同寺境内には単制石幢六地蔵もあったりして、その調査にもしばしの時間を取られて、長福寺さんを辞したのは既に2時近くになっていました。たった二箇所のみで、朝九時から5時間も連続で文字ばかりを、本気になって眺めていたので流石に疲れました。
空腹感は、既に通り過ぎてただ休みたい一心で小俣町を北上し、その後は山地へと向かいました。そして道路沿いの庚申塔が並ぶのんびりした景色の中で大休憩。山間のため風もなく、セーターも着ていないのに汗ばむほどの中で、まずはコーヒーを沸かして飲みました。それから遅すぎるほどの昼食を、東京の橋口氏から頂いた美味しいみそ汁を作って弁当を広げました。もちろん食後は、今日のたった2箇所ながら大満足の成果に一人酔いしれて地面に敷物を敷き、その喜びの反芻をしました。この時点で、時計は既に3時近くになっていたので今日の石仏巡りは終了とし、その後はこの周辺の碑塔写真を気ままに撮影しながら松田町へ抜け、そこから馬打峠を越えて月谷町へ抜けて帰路に就きました。
もちろん夜は、その日に取った沢山の拓本を並べ眺めては一人で悦に入っていたことは言うまでもありません。調査用紙の清書もせずに、です…。
従いまして今回は、HP上に掲載するような画像が無いのです。それでも、昼食時と帰路途中で撮影した幾つかの遊び的画像は数点ですが掲載するつもりです。
※来週は春分に入ります。いよいよ春本番。益々忙しくなる石仏巡りですが、まあ欲をかかずにこのペースで進みましょう。
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