昨日、25日は佐野市在住の高橋氏と一緒に足利市西部地区へ行きました。最初は、今福町の白山神社周辺を探索し、白山神社境内で本当に暫くぶりに「摩利支天」の文字塔に出会いました。
その後は、大岩町へ向かい、厳島神社や最勝寺などを見て毘沙門天へ向かいましたが、登り口で庚申塔二基を記録してUターン。行くときには気づかなかった道路沿い高台に、高橋氏が庚申塔群を見つける。慌てて車を止めて近づけば、そこには優に百基を越す自然石庚申塔が雑然と転がっている。隣の家人に高橋氏が聞き込みに行けば、ここは「大岩の庚申山」と言われているところで、で祀った庚申山とのことである。調べようにも、余りにも数が多いのと、一つ一つ抱き起こさなければならない有様にそれは断念し、特徴的な庚申塔だけを調べることにする。ここで、三基の数庚塔(かずのことう)を収録出来た。いずれにせよ、これで又足利市の庚申塔群が一箇所増えたことになり、その喜びは大なるものがある。そしてこれも、高橋氏と一緒に来た今日の大きな成果と感謝する。
所で、今日の予定としては大前町地内を巡る予定であったが、思わぬ大岩の庚申山発見で舞い上がり、少し早いが弁当を手に入れて一休みしようということになり、大前町はパスして板倉町へと進んでしまう。そしてやってきたのは、毎度の事ながら粟谷町の橋入り地区碑塔群。碑塔の並ぶ所に敷物を出して弁当を広げ、午前中だけの成果で大満足の大休憩となる。それでも、食後はそこにある碑塔を今回こそは調べるぞ(いつ来ても、眺めるだけで記録を取っていなかった)と起き出して調査開始、埋没している台座をスコップで掘り出しているところへ地元の人が来て、ジュースなどの差し入れを受ける。それが縁となって世間話をすること一時間強、思わぬ邪魔が入ったが、これも良い思い出になるだろうと楽しい時間を過ごせた。
そこで、今日最後の訪問地は板倉町の養源寺と決めて乗り込み、早速境内にある庚申塔群に入る。ここでの今日の目的は、その中にある数庚塔の悉皆調査である。高橋氏と一緒に水洗いをしながら都合七基の塔を調査し終える。その後は、そこにある「庚申」書体のなかから気に入った塔を水洗いしては写真に撮りながら時間が過ぎて、早くも3時半となってしまった。どうやら、今日の石仏巡り終了時間となったようだ。お寺さんの皆様の、「お茶を飲んでいってください」という言葉に感謝しながら、また近い内にお伺いさせて頂きますと厚く御礼を述べて帰路に就く。
その帰路車中にて、この養源寺さんの庚申塔群中「百書体」庚申塔のまとめは、やはり私達がしなければならないのかもしれないと話す。私個人的にも、この問題は以前から感じていたところなので、この際に高橋氏の力を合わせて実行に移す時期が来たようである。しかし、最低でも百基の文字庚申塔の拓本を取るとなると、やはりそれ相応の覚悟が必要である。高橋氏は、二人でやれば2日間で終了するだろうから、ぜひこの際にやってしまおう、というありがたい言葉もあって、今週中にはその覚悟を私自身固めなければならないと思っている。何しろ、高橋氏の協力があってこそ出来る事なのだから…。
また、4月22日の「多摩石仏の会」皆様との足利市庚申塔巡りは、この周辺だけで十分に皆が納得できる内容だろうという話しになり、その予定でコースを組んでみることにしよう。多摩石の皆様、足利市が初めての方には面白い物ばかりをお見せしますので、お楽しみにご参加下さい。
そして今日26日は、ジャガイモの植え付けをしようと予定していたが、天候は曇りで当地は肌寒いので中止。その分を、昨日の撮影しすぎて碑塔写真の整理などをして過ごそうと机に向かっている。また、HPへの今回の石仏巡り記は、既に画像が多すぎてアナログ回線の方々には申し訳ないので、ホンの数点だけを掲載する事に致します。
その後は、大岩町へ向かい、厳島神社や最勝寺などを見て毘沙門天へ向かいましたが、登り口で庚申塔二基を記録してUターン。行くときには気づかなかった道路沿い高台に、高橋氏が庚申塔群を見つける。慌てて車を止めて近づけば、そこには優に百基を越す自然石庚申塔が雑然と転がっている。隣の家人に高橋氏が聞き込みに行けば、ここは「大岩の庚申山」と言われているところで、で祀った庚申山とのことである。調べようにも、余りにも数が多いのと、一つ一つ抱き起こさなければならない有様にそれは断念し、特徴的な庚申塔だけを調べることにする。ここで、三基の数庚塔(かずのことう)を収録出来た。いずれにせよ、これで又足利市の庚申塔群が一箇所増えたことになり、その喜びは大なるものがある。そしてこれも、高橋氏と一緒に来た今日の大きな成果と感謝する。
所で、今日の予定としては大前町地内を巡る予定であったが、思わぬ大岩の庚申山発見で舞い上がり、少し早いが弁当を手に入れて一休みしようということになり、大前町はパスして板倉町へと進んでしまう。そしてやってきたのは、毎度の事ながら粟谷町の橋入り地区碑塔群。碑塔の並ぶ所に敷物を出して弁当を広げ、午前中だけの成果で大満足の大休憩となる。それでも、食後はそこにある碑塔を今回こそは調べるぞ(いつ来ても、眺めるだけで記録を取っていなかった)と起き出して調査開始、埋没している台座をスコップで掘り出しているところへ地元の人が来て、ジュースなどの差し入れを受ける。それが縁となって世間話をすること一時間強、思わぬ邪魔が入ったが、これも良い思い出になるだろうと楽しい時間を過ごせた。
そこで、今日最後の訪問地は板倉町の養源寺と決めて乗り込み、早速境内にある庚申塔群に入る。ここでの今日の目的は、その中にある数庚塔の悉皆調査である。高橋氏と一緒に水洗いをしながら都合七基の塔を調査し終える。その後は、そこにある「庚申」書体のなかから気に入った塔を水洗いしては写真に撮りながら時間が過ぎて、早くも3時半となってしまった。どうやら、今日の石仏巡り終了時間となったようだ。お寺さんの皆様の、「お茶を飲んでいってください」という言葉に感謝しながら、また近い内にお伺いさせて頂きますと厚く御礼を述べて帰路に就く。
その帰路車中にて、この養源寺さんの庚申塔群中「百書体」庚申塔のまとめは、やはり私達がしなければならないのかもしれないと話す。私個人的にも、この問題は以前から感じていたところなので、この際に高橋氏の力を合わせて実行に移す時期が来たようである。しかし、最低でも百基の文字庚申塔の拓本を取るとなると、やはりそれ相応の覚悟が必要である。高橋氏は、二人でやれば2日間で終了するだろうから、ぜひこの際にやってしまおう、というありがたい言葉もあって、今週中にはその覚悟を私自身固めなければならないと思っている。何しろ、高橋氏の協力があってこそ出来る事なのだから…。
また、4月22日の「多摩石仏の会」皆様との足利市庚申塔巡りは、この周辺だけで十分に皆が納得できる内容だろうという話しになり、その予定でコースを組んでみることにしよう。多摩石の皆様、足利市が初めての方には面白い物ばかりをお見せしますので、お楽しみにご参加下さい。
そして今日26日は、ジャガイモの植え付けをしようと予定していたが、天候は曇りで当地は肌寒いので中止。その分を、昨日の撮影しすぎて碑塔写真の整理などをして過ごそうと机に向かっている。また、HPへの今回の石仏巡り記は、既に画像が多すぎてアナログ回線の方々には申し訳ないので、ホンの数点だけを掲載する事に致します。