石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

6月3日の那須地方馬頭さん巡り

2006年06月04日 | Weblog
昨日6月3日は、今年初めて那須方面の馬頭さん巡りに出かけました。同伴者は、那須行きには必ず一緒の東京在住、橋口氏である。
宇都宮駅で9時に会い、その後は最初の目的地である大田原市へ向かうも、大田原市内で道に迷ってしまう。そもそも、10年以上も前に行った場所、しかも田舎道の田圃のあぜ道にあるネコ像を見に行くのに、事前に道路地図帳さえ見ないで一発で行けるはずがない。コンビニに立ち寄って聞くも、判ったのは自分たちの居る場所だけで、目的地の場所へはどの道路を選べば良いのかが判らない。というのも、当時と違って町中は新しい道路が出来ていて、持ってきた地図(しかもその地図帳は10年以上も前の物)には今居る場所さえ道路が無い始末。それでも何とか、行きつ戻りつしつつも最初の目的地であるネコさんが浮き彫りされた2基が並んでいる場所に到着した。
 次は、黒磯市内へ入った神社の前にある、丸彫ネコ像2体の見物。この場所も、かつては農道だった道が立派な地域の幹線道路になっていたが、流石に所在地が神社だけに問題なく到着できた。ここで、橋口氏がネコの証である首紐について蘊蓄を語ってくれる。この話は、これからのネコ像判別に大いに役立つと一人大喜びする。それにしてもそのネコ像、橋口氏は余りにも像容が良いのと目立つところに置いてあるので、「これは盗まれる!。東京なら、一晩で無くなるだろう。心配だ、心配だ」と、まるで自分の物の様に心配してくれる。確かに、像容的にはかわいい置物のような姿なので盗難を心配する橋口氏の気持ちは分かるが、その手だてが無い以上どうすることも出来ない。また。10数年ぶりに来てみれば、前回とは所在場所が違っていたとはいえ、無事にこうして再会できたのだから、案外とこれから先も無事にここに居てくれるものとポジティブに考えることにしよう。

その後は、いよいよ今日のメインである那須地方の馬頭さん巡り開始である。といいつつ、途中途中の目に入る道路沿いの碑塔を眺めてばかりいて、少しも先へ進まないうちに時計は直ぐに12時を過ぎてしまう。急いで、御幣を背中に乗せた馬頭観音様を訪ねに白河の関への道へ行くつもりが間違って通り過ぎ、またしてもそこで見た馬頭観音様の写真撮り。道をUターンして、ようやく今日の目的の一つである御幣馬頭観音様に辿り着いた。

遅くなってしまった昼食は、更に白河の関へと走った途中の山の中の広場で取る。今日は、橋口氏の持参した高級料亭作、一個ウン千円の超豪華弁当。これには参った。このような豪華な昼食など、以前に食べたことを思い出せないほどの有様で、感謝感激しながらご馳走になる。そして食後は、新鮮な山の空気を味わいながら四方山話しに花が咲き、小時間ばかりをのんびり過ごしてしまう。

美味しい昼食をたらふく食べ、のんびり休んで休養たっぷりの午後の石仏巡りは順調に進み、いつもの橋口氏の馬頭さんに接する優しい眼差しとその慈しみの態度に、案内役の私の方はもうそれだけで嬉しくて、次から次ぎへとそんな橋口氏の喜びそうな馬頭さんを選んでは巡り歩く。そんな今日の最後の訪問地は、長久寺さん境内にある馬頭さん。ご挨拶に行くと、若住職さんが対応に出られて本堂へ招き入れてくださり一休み。そして境内の馬頭さんなどを見、厚くお礼を述べて帰路につく事になった。が、時計はまだ3時半。このままではもったいないと、急遽もう一箇所追加見学と称して自称「馬頭観音街道」へ行こうと国道4号線をはずれる。来てみると、草丈が少し伸びてしまったが何とか写真は撮れそう。手で草を掻きむしりつつ、二人でこの季節ならではの馬頭さんの佇まいを撮影する。そんな私達の姿を見ていた農家の方が、「私の家はあそこだから、お茶でも飲みにきたら」と誘ってくださる。
ところで、調子に乗りすぎ私はここでカメラがゲームアウト。橋口氏も、持参したフィルムは使い切り、残るはたった一コマだけとなる。そんな次第で、写真がこれ以上撮れないことに諦めがつき、ようやく今日の那須の地の馬頭さん巡りを終了する。
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