今日、10月8日は足利市へ行って来ました。しかし、台風並の強風が吹き荒れていて石仏巡りどころではありませんでした。その上、訪ねるお寺さんではどこもかしこも法事の最中で石仏調査を行う雰囲気ではなく、結局のことろ石仏を調べたのは足利市山川町の長林寺境内にある昭和庚申塔だけでした。
実はその調査には裏話があって、以前に全て調べたのですが帰宅してから念のために「足利の庚申塔」という書籍と対比したところ10基余りに紀年銘の不一致が見つかり、自分の調査したものが読み違えてしまったのかと不安になり、その再確認の為にやって来たのです。ところが、今日再度の確認をしてみるとその全てが私の方が正しいのが再確認されました。100基もの庚申塔の中から、再度該当碑塔を調べての結果ですから、終わってみれば何となく腹が立ちました。
他人の調べた碑塔記録は信用しない主義の私ですが「足利の庚申塔」と名打って部厚な書籍として発行されただけに、どうしてもそこに書かれていると一応は信頼してしまう私が悪いが、それでも「おいおい、せめてもの昭和年代の紀年銘ぐらい、本気になって読めよ!」と、ひとり憤慨しました。しかも、その中には昭和55年庚申塔さえ1基抜かしている有様に、まったく!の一言です。
そんなこんなで、今回もHPへ掲載する写真はありません。そして帰宅してメールを開けると、そこには高橋氏から岩舟町の私の見ていない碑塔が写真と共に届いていました。ありがたいことです。次回、この方面へ行くときは実見しようと思っています。
実はその調査には裏話があって、以前に全て調べたのですが帰宅してから念のために「足利の庚申塔」という書籍と対比したところ10基余りに紀年銘の不一致が見つかり、自分の調査したものが読み違えてしまったのかと不安になり、その再確認の為にやって来たのです。ところが、今日再度の確認をしてみるとその全てが私の方が正しいのが再確認されました。100基もの庚申塔の中から、再度該当碑塔を調べての結果ですから、終わってみれば何となく腹が立ちました。
他人の調べた碑塔記録は信用しない主義の私ですが「足利の庚申塔」と名打って部厚な書籍として発行されただけに、どうしてもそこに書かれていると一応は信頼してしまう私が悪いが、それでも「おいおい、せめてもの昭和年代の紀年銘ぐらい、本気になって読めよ!」と、ひとり憤慨しました。しかも、その中には昭和55年庚申塔さえ1基抜かしている有様に、まったく!の一言です。
そんなこんなで、今回もHPへ掲載する写真はありません。そして帰宅してメールを開けると、そこには高橋氏から岩舟町の私の見ていない碑塔が写真と共に届いていました。ありがたいことです。次回、この方面へ行くときは実見しようと思っています。