石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

9月8日は栃木県旧今市市の庚申塔巡りです。

2007年09月09日 | Weblog
2007年9月8日(土)の石仏巡り

昨日9月8日は、一日中栃木県今市市の庚申塔を見て歩きましたが、今年の石仏巡りで最も疲れた石仏巡りでした。
 お昼近くには、完全に脱水症状を起こしてしまい、今日こそ庚申塔に手を延ばしたまま倒れてしまうのではないかと、本気で思いました。というのも、最初の庚申塔探しがイケマセンでした。山の中のどこかにあることだけは判っていても、そのどこだかが全く判らず、蒸し暑い雑木林の中をヤブ蚊とアブと蜘蛛の巣と戦いながら1時間半もかけずり回ってしまったからです。見つけてしまえば、「何だ!こんな所にあったのか」なのですが、たった1基の庚申塔(しかも元禄年間)のために今日の体力を全て使い果たしてしまった感がなきにしもあらずだったのです。記録と写真を取り終えた時には、既に10時半近くになってしまいました。それでも、成果としてはこれまた山の中にある別の「庚申塚」を偶然に知ったことです。共に、住所(もっともその住所は書きようもないのですが)だけでは絶対に見つからない場所の庚申塚を、半日で二箇所も探し当てたと思えば良いのでしょうが…。
 この時点では、それでもまだ次へ向かう気力があった。しかし、その場所も所在地は大雑把で、「古大谷川の川際」にあるというだけ。仕方なく、炎天下の中を帽子も被らずカメラ三脚等を担いで川岸を歩いて探すことにしたが、台風明けの水かさの増した、しかも夏草の生い茂った川岸を長靴を履いて歩いたが、どこにも見つけられなかった。ここでの、無駄な動きも知らずに疲れを倍加させてしまった。それでも途中で出会った地元の方に尋ねたところ、「あるかどうかは知らないが、向こうの方の川の縁に庚申塚があるという話しを聞いたことがある」と教えてくれた。
 それだ!。今度こそと車に乗って、少しばかり移動してから共同墓地に車を止める。そして再びカメラ三脚や掃除道具一式を抱えて民家の庭先を借りて川を超え、また再び川岸を歩いて、ようやく発見。しかしその庚申塔は、今日の最初の庚申塔と同じく写真を撮っても上手く写らないし、そもそも石文解読にも手こずる相手なのである。肌を射るような日射しの中で、碑塔磨きをしながら石文を解読していると目眩を感じるようになってきた。それはもう完全に日射病になる一歩手前の症状である。シャツは言うに及ばずズボンまで汗でびしょ濡れ、長靴を履いている足はグショグショの状態。生憎と水は車の中に置いてきたので、どうせ旨く撮れないと判っている写真を適当に撮り、急いで車に戻る。
 時計を見れば、早くも12時近い。どこか、木陰のある川岸へ行って休息を取ろうと今市市小百地区へと向かう。だが、その途中にはこれまで何度もその前を通りながらも記録どころか写真1枚さえ撮っていない「拝侍二猿」庚申塔があるのを思い出して、ついつい寄り道してしまった。何しろ今日の目的が、今市市のまだ実見していない「拝侍二猿型」庚申塔の実見にあったのだから…。
 そして来て、紀年銘やら主銘文を相変わらず水洗いを繰り返しながら読んでみれば、あの「今市の庚申塔」に掲載されている内容と異なっている。特に紀年銘は、実際は元禄五年を元禄九年と干支と共に読み間違えている。そんなこんなで、ここでも時間を使ってしまい、休息場所として来た滑川に着いたときは12時半になっていた。いつもは清流の流れている滑川も、今回の台風の影響で濁っているがまずは手足を洗い、顔を拭いてから木陰に敷物を敷いて寝ころぶ。身体は完全にオーバーヒートしているのが自分でも判り、とにかく身体を冷やそうとその後は食事どころではなくなって涼風と冷気を求めて四苦八苦する。
 今日は馬鹿なことに(馬鹿なことをしでかすのは毎度のことなのだが)、拓本を取るときにいつものような油墨でなく、今日は乾きが早いからと墨汁を使用しようとしてズボンにその墨汁を思いっきりこぼしてしまう。このまま家に帰ったら、必ずカアチャンに叱られると覚悟したが、この際だからズボンを抜いて少し水洗いしてみることにする。川に浸してこすってみたら、意外にも結構落ちる。こりゃ〜調子よいと裸足で川に浸りながら選択していると何とも涼しくて気持ちよい。よし、こうなりゃステテコまで真っ黒に染みた墨汁を少しでも落とそうとパンツ一丁になって川での洗濯となる。当然、上着を着けてパンツ一枚という格好はおかしいので、上半身は裸になってまるで水遊びである。そして川原の石の上に広げて干し、乾くまでの間に昼食とする。当然ながら、暑いときこそ熱い食事を取ろうとラーメンにする。そんな、川に入っての洗濯が良かったのか、先ほどまでカッカッと火照っていた体は何となく収まり、水のせせらぎと木陰を吹き抜けてくる涼風の中で美味しい食事タイムと休憩タイムとなった。ここで、1時間余を過ごす。

 今日の予定は、あと三箇所。何となく気分も良くなったので、一旦小百街道へ戻って、いつかは拓本を取ろうと思っていた庚申塔へ向かう。当然、今度は直射日光対策を考える。その一つが、麦わら帽子はもう不要だろうと家に置いてきたので、傘をさしての作業となった。作業は順調に進んだが、どうしても読めない箇所が二箇所出てくる。悔しいので、その部分だけ二度の手拓をする(結果的には読めなかったが)。
 次は、小百小学校東側の墓地にある庚申塔。これは下部が埋まっているため、精査をするには下部をスコップで掘らなければならない。だが、何しろ墓地内。それに加えて、今日の暑さではとてもその勇気がなくて、写真撮影と確認のための記録を取っただけで諦める。そして今日の最後が、瀬尾地区高百の薬師堂にある庚申塔3基の調査。だが来てみれば、いつのまにか成長した樹木で2基の庚申塔は完全に調査が出来ない。また、アシナガバチが飛び交っているので、その樹木の中には巣があるのかも知れない。焦ることはない。冬になったらまた来よう、と潔く諦めて帰路に付く。

 そんなこんなで、今回の石仏巡りは全部で21基。しかもそのどれもが、飛び切りに写真写りの悪い状態の碑塔ばかり。それでも、先週は写真掲載をサボってしまったので、明日以降の時間の空いたときにでも作成してHPの方へ掲載したいと思っています。

※昨日の疲れが残って、本当なら今日9日は畑仕事をする予定でしたが中止とし、完全休養日にしました。そして次回15日は、春日部市の中山氏と一緒に鹿沼市から日光市までの庚申塔巡りの予定です。どうぞ、今年の暑さもそろそろ納まってくれますよう…。