☆只今、石仏巡りに限らず野山を巡るには絶好の季節。それこそ暑くもなく寒くもなく、空を見上げれば真っ青な空に少しだけ秋雲のただよう季節です。特に20日は、男体山を始めとした日光の山々に初冠雪があり、早朝の澄み切った青空に、頭を白くした勇姿を長めながらのドライブはホントッ、最高でした。
そんな訳で、去る10月20日・21日は2日間とも日光方面の石仏巡りとあいなりました。初日の20日は、市街地の石造物落ち穂拾いでしたので、下鉢石町の日光市役所へ車を止めてザックを担いで歩くことにしました。何しろ落ち穂拾いですから市街地での成果は余りなかったのですが、暫くぶりに訪ねた所が多く、その意味では面白かったです。特に観音寺さんの境内にある真言宗から寛永4年に、かの天海僧正により強制的に天台宗に改宗された経緯を記した記念碑には今さらながらに納得しました。しかし、うかつにも昼食をザックの中に入れるのを忘れてしまい、お昼12時を知らせるサイレンの音を聞いたのは、駐車場から随分離れてしまった場所でしたので仕方なく昼飯抜きとなってしまいました。
午後1時半頃に車へ戻って遅い昼食。それから少し車で移動し、今度は七里地区と野口地区の境近くの草地に車を止め、再びザックを担いで石造物の落ち穂拾いです。少し歩いては民家に飛び込んで情報収集。そんな事を繰り返しているうちに、七里の中妻地区で山の中に庚申さんがあるという情報が得られました。喜び勇んで行けば、確かに以外の人では滅多に立ち入らないような山の中に庚申塚があり、そこに寛政12年銘の自然石庚申塔が建っていました。しかし、車から離れるときにカメラ用三脚をついつい荷物になるからと言う理由だけで持ってこなかったために、昼なお暗い森の中では写真撮影が上手く行かず、フラッシュを使用したにもかかわらず、写真は失敗してしまいました。
その庚申塚近くの道路沿い草むらの中に顔を出している「馬頭尊」碑も発見。こちらは幸いにも撮影できたが、そんなことをしているところへ地元の方が通りかかって話し込み、思わぬ情報が得られました。それは、隣の野口地区の山王下地区にも、山の中に庚申塚があるとのこと。その所在地を詳細に書き留めてから出発。今度は、しっかりとカメラ三脚を忘れずに…。しかしその道は、初めてと言うこともあって長く感じるだけで歩いて行けどもちっとも見つからない。そんな諦めかけた頃に、道の傍らに大きな自然石が幾つも立っている光景が目に入る。急いで行けば、そこには萬延元年塔から昭和55年塔までの4基が並んでいた。
先ほどの中妻地区と言い、この山王下の庚申塚と言い、これまでどの報告書にも発表されていない庚申塔との出会いに嬉しくなりつつも、やはり石造物調査の最後はこうして「無くて当たり前」として各を丹念に探し回らなくては行けないことを実感した。こうして20日の石仏巡りは、思わぬ収穫を得て喜び勇んで帰宅した。
翌21日は、午後から小来川地区へ出かける。この地区は1995年に調査して以来の場所を中心にして、まずは宮小来川地区を調べることとした。記憶というものは好い加減なもので(もっともその当時とは新しい道路が開通していて些か異なるが)、最初の黒川神社の東側にあった碑塔群が見つからず慌ててしまうが、それもやがて詳細な所在地の記憶違いと判って一安心。そこにある庚申塔5基ばかりを再調査してから、昔に矢倉山に登ったときに、途中で見た庚申塔に会いに行く。その中に、昭和55年塔があったことを今回初めて確かめて独り苦笑である。その後も宮小来川地区を中心に夕方4時まで見て歩いてから、二日間の充実した石仏巡りに感謝しつつ夕焼けの中を帰路に付く。
そんな訳で、去る10月20日・21日は2日間とも日光方面の石仏巡りとあいなりました。初日の20日は、市街地の石造物落ち穂拾いでしたので、下鉢石町の日光市役所へ車を止めてザックを担いで歩くことにしました。何しろ落ち穂拾いですから市街地での成果は余りなかったのですが、暫くぶりに訪ねた所が多く、その意味では面白かったです。特に観音寺さんの境内にある真言宗から寛永4年に、かの天海僧正により強制的に天台宗に改宗された経緯を記した記念碑には今さらながらに納得しました。しかし、うかつにも昼食をザックの中に入れるのを忘れてしまい、お昼12時を知らせるサイレンの音を聞いたのは、駐車場から随分離れてしまった場所でしたので仕方なく昼飯抜きとなってしまいました。
午後1時半頃に車へ戻って遅い昼食。それから少し車で移動し、今度は七里地区と野口地区の境近くの草地に車を止め、再びザックを担いで石造物の落ち穂拾いです。少し歩いては民家に飛び込んで情報収集。そんな事を繰り返しているうちに、七里の中妻地区で山の中に庚申さんがあるという情報が得られました。喜び勇んで行けば、確かに以外の人では滅多に立ち入らないような山の中に庚申塚があり、そこに寛政12年銘の自然石庚申塔が建っていました。しかし、車から離れるときにカメラ用三脚をついつい荷物になるからと言う理由だけで持ってこなかったために、昼なお暗い森の中では写真撮影が上手く行かず、フラッシュを使用したにもかかわらず、写真は失敗してしまいました。
その庚申塚近くの道路沿い草むらの中に顔を出している「馬頭尊」碑も発見。こちらは幸いにも撮影できたが、そんなことをしているところへ地元の方が通りかかって話し込み、思わぬ情報が得られました。それは、隣の野口地区の山王下地区にも、山の中に庚申塚があるとのこと。その所在地を詳細に書き留めてから出発。今度は、しっかりとカメラ三脚を忘れずに…。しかしその道は、初めてと言うこともあって長く感じるだけで歩いて行けどもちっとも見つからない。そんな諦めかけた頃に、道の傍らに大きな自然石が幾つも立っている光景が目に入る。急いで行けば、そこには萬延元年塔から昭和55年塔までの4基が並んでいた。
先ほどの中妻地区と言い、この山王下の庚申塚と言い、これまでどの報告書にも発表されていない庚申塔との出会いに嬉しくなりつつも、やはり石造物調査の最後はこうして「無くて当たり前」として各を丹念に探し回らなくては行けないことを実感した。こうして20日の石仏巡りは、思わぬ収穫を得て喜び勇んで帰宅した。
翌21日は、午後から小来川地区へ出かける。この地区は1995年に調査して以来の場所を中心にして、まずは宮小来川地区を調べることとした。記憶というものは好い加減なもので(もっともその当時とは新しい道路が開通していて些か異なるが)、最初の黒川神社の東側にあった碑塔群が見つからず慌ててしまうが、それもやがて詳細な所在地の記憶違いと判って一安心。そこにある庚申塔5基ばかりを再調査してから、昔に矢倉山に登ったときに、途中で見た庚申塔に会いに行く。その中に、昭和55年塔があったことを今回初めて確かめて独り苦笑である。その後も宮小来川地区を中心に夕方4時まで見て歩いてから、二日間の充実した石仏巡りに感謝しつつ夕焼けの中を帰路に付く。