石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2007年11月11日も日光市小来川方面の石仏巡りです

2007年11月12日 | Weblog
2007年11月10日の土曜日は、どこにも出かけられない終日の雨でした。その雨を幸いと、暫くぶりに終日をパソコンの前に座って日光の庚申塔の整理をしました。お陰で、江戸前期までの日光庚申塔を小冊子にまとめ上げることが出来ました。60基程の数ですが、それを画像編集したり石文を打ち込んだりしていたので、流石に夕方には疲れてしまいましたが、これで整理としての一応の一覧資料が作成できたと一安心です。印刷はまだ一部しかしていないので、取りあえずは野田市在住の戸向氏にお送りしようと思っています。これをご覧の、石友の方でご希望の方はご連絡下さい。お送りしますので。

そして2007年11月11日の日曜日は、朝から雨が降っているもののどうせ昼間にはその雨も上がるだろうと勝手に判断し、日光市小来川方面へ出かけました。今回は、再調査を兼ねてとはいえ、その本心はまだ聞き込み調査の終えていない地区坪へ入って、庚申塚を見つけることにありました。その甲斐があって、二箇所で初めての庚申塚を確認できました。そこには、まだどこにも発表されていない昭和五十五年庚申塔があり、雨降る山中で思わずバンザイです。それにしてもその二箇所の場所は酷いところで、まず県外の人では探すことは不可能な場所にあります。そんな山の中で、携帯電話が鳴りました。掲示されている電話番号は登録されていないので、誰だか判らない番号。いずれにせよ、電波が弱いので後でかけ直すことにして、庚申塔調査に没頭。三脚を車から持ってこなかったので、調査を終えてから車に戻って「一体、誰だろう」とリダイアルしてみると、それは埼玉県小川町在住の高瀬氏でした。電話の内容は、今年中にまた当県へ行きたいので災害碑の案内お願いの件でした。12月1日は、多摩石の加地氏などと一緒に那須へ行くことになっているので、それ以外ならいつでもOKとして電話を切る。
 そして最後に向かったのが、これまた酷い山の中にあって急な崖を登らなければならない。雨は降っているし、両手にはカメラ三脚に掃除道具やら記録用紙と持ているので(今回は雨と言うこともあってザックをおいてきてしまった)、四苦八苦して登る。そこにも面白い庚申塔があって夢中で調査しカメラを向けたが、何しろ暗い森の中である。写真は、再度の撮影として今日は自分のメモ程度の内容としてフラッシュを多用する。雨は益々強くなって、調査用紙はびしょ濡れとなってきたので下山する事にする。そして登るときに、下りはどうなるやらと思っていた通りに、途中から足下が滑ってものの見事に急斜面を転がり落ちる。ズボンは言うに及ばずシャツまでどうしようもない泥だらけ。車にはそのままでは乗れないのでまずはシャツを脱ぎ、ズボンは雑巾を濡らして泥を落とす。それでなくても、それまでの雨で濡れているのに、更に濡れ雑巾で泥を落としたのだからびしょ濡れとなる。ここまで来ると、今日の石仏調査の意欲は完全に消滅!。第一、泥だらけの身体では人様の目には見せられないようなびしょ濡れの泥だらけなので、今日はここで終了として帰路についた。時に、午後2時半。
 それでも、雨の中の石仏巡りの成果は大で、前述のように新たな昭和55年庚申塔を2基見つけられたし、途中で畑仕事をしていた農家のご夫妻からは取れたてのカブや赤ダイコンを頂戴したりした。
 次回こそ、雨で登山を中止した愛宕山へ登るぞ!。だから、雨だけはゴメン蒙りたいものであると、今から祈っている。
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