2007年11月17日(土)も、日光市小来川方面の庚申塔調査に行きました。小来川の調査もいよいよ最終を迎え、今回も再調査の必要な庚申塔と写真撮影が失敗しているものの再撮影が目的でした。最初に、南小来川地区の庚申塚を訪れ、上手く撮れていなかった昭和55年庚申塔を撮影したついでに、前回に良く確認しなかった倒れているかもしれない庚申塔がないか確認をしました。結果としては、新しい庚申塔は見つかりませんでした。
次に向かったのは、ここ10年は登っていなかった水草沢の愛宕山へ登りました。相変わらずの急な斜面を登って辿り着いた愛宕山山頂は、いつのまにか鬱蒼として茂っていた杉の木が切り倒されていて、気持ちの良い場所となっていました。秋の深まる山頂で、しかも熊の子(?)さえ出てきそうもない山頂に気分を良くして、まだ10時前だというのにコーヒー等を飲んですっかり長居をしてしまいました。
下山してから、途中途中で写真を撮りながら、1995年に見て以来再調査をしていなかった、東小来川・清合地にある宝暦7年銘拝侍二猿型庚申塔を訪ねました。この庚申塔は、福田氏個人宅の庭先から入る必要があるので訪ね行き、居合わせたおばあちゃんと一緒にお茶をご馳走になっての調査となりました。ここでも、すっかり時間を無駄使いしてしまいましたが、私の石仏巡りはいつもこんなもの。地元の方との語らいを大切にしながら、その間にしっかりと周辺の石造物所在や信仰の話しを聞くことにしているのです。それでも11時過ぎにここを辞して、今度は山久保・柏木地区の庚申塚を訪ねました。ここも、前回に訪ねたばかりですが、今もはっきりと判る庚申塚としての風景を写真に撮ることでした。そんなこんなで、ここを離れたころには12時近くになっていました。
お昼は、山久保地区から日光市街へと抜ける間道を通って、その途中にある素敵な草地でのんびり取ることにして車を進める。それにしても、朝8時半頃から始めた今日の石仏調査は、愛宕山の庚申塔に関係しない碑塔を含めてもたったの8基である。半日で調べた碑塔の数が8基という数に愕然としながらも、これも今回は仕方がないと一人納得する。 車の外は、日光連山から吹き下ろす強風で寒く、とてもではないがいつものように草地に座り込んでの昼時間とはならない。仕方なく、車の中での昼食となる。ところで、今日の予定はここまでで全て終了してしまった。日光の山の中にいながら、その後の予定が無いでは情けない。午後の部は何処へ行こうか、一人で悩んでいて思い出したのが、今日は多摩石仏の会の例会石仏巡り日。今頃皆さんは、昼食を取るべくその場所へ向かっている頃だろうと、加地さんの携帯へ電話してみる。電話に出た加地さんの話しでは、私の予想通りに昼食を取る場所へまもなく着くところと言う。都会の中の石仏巡りと、かたや早々と山の中の石仏調査を終えてくすぶっている私という、何とも奇妙な石仏巡り者同士の会話である。それでも、本来の目的である12月1日の那須石仏巡りの最終打ち合わせを終えて電話を切る。
そうだ!。日光の七里地区の地蔵像容庚申塔の写真を撮りに行こう。と、急に思いついて日光街道へと出る。その場所は、狭い日光街道沿いにあるため車が止められないので、途中の空き地へ車を置いて歩いていくことになる。三脚や調査用紙を抱えて車の往来が激しい日光街道を歩き、目的地に到着。早速カメラを三脚にセットして撮影に入るが、お地蔵様が身に付けている赤い頭巾と前垂れをどうするかで悩み、結局はそのままの姿と、裸にしての写真の二通りを撮影する。その右側にある昭和55年庚申塔、こちらもついでだから撮影しようとするが、その前にあるアジサイの枝が前面を覆っていて上手く撮影できない。困っているところに、歩いてくるおばさん二人。早速呼び止めて手を借り、何とか撮影することが出来た。ここまで来たからには、予定外の日光市街地の庚申塔落ち穂拾いをすることにして、いつもの日光市役所へ車をデポ。細い路地を行きつ戻りつしながらの庚申塔探しであったが、どうにか路地奥の民家庭先にデ〜ンと建立されている庚申塔を発見。暫くぶりに、「アッ、見つけっ!」という感動を味わった。こんな所に庚申塔があったとは!、よそ者には、まず見つけることの不可能な場所である。
この辺で、何となく今日の石仏巡り意欲が消失。時計はまだ3時少し前だが、目的とした小来川地区の庚申塔調査は無事に終了したこともあって(それ以上に、日光の町中は寒い!)、心の内は大満足なのである。帰宅するには早いが、こういう時もあって良いだろうとこれまでの小来川地区庚申塔の整理を楽しみに帰路につく。しかしその夜、小来川地区の調査した庚申塔とその写真の総数が合わない。焦って再確認したところ、中小来川地区の2基の庚申塔写真がないことに気づく。マッタクッ、いつもの私らしいと腹が立つが、自分を責めても仕方がないので、予定では次回から日光を離れて栃木県南部へ目的地を変えようとしていたのを取りやめ、次回もそのたった2基の写真撮影のために小来川へ行くことにしよう。そしてついでだから、庚申信仰の「マルメ」についての情報や聞き取り調査をもう少ししてこようと思っている。
次に向かったのは、ここ10年は登っていなかった水草沢の愛宕山へ登りました。相変わらずの急な斜面を登って辿り着いた愛宕山山頂は、いつのまにか鬱蒼として茂っていた杉の木が切り倒されていて、気持ちの良い場所となっていました。秋の深まる山頂で、しかも熊の子(?)さえ出てきそうもない山頂に気分を良くして、まだ10時前だというのにコーヒー等を飲んですっかり長居をしてしまいました。
下山してから、途中途中で写真を撮りながら、1995年に見て以来再調査をしていなかった、東小来川・清合地にある宝暦7年銘拝侍二猿型庚申塔を訪ねました。この庚申塔は、福田氏個人宅の庭先から入る必要があるので訪ね行き、居合わせたおばあちゃんと一緒にお茶をご馳走になっての調査となりました。ここでも、すっかり時間を無駄使いしてしまいましたが、私の石仏巡りはいつもこんなもの。地元の方との語らいを大切にしながら、その間にしっかりと周辺の石造物所在や信仰の話しを聞くことにしているのです。それでも11時過ぎにここを辞して、今度は山久保・柏木地区の庚申塚を訪ねました。ここも、前回に訪ねたばかりですが、今もはっきりと判る庚申塚としての風景を写真に撮ることでした。そんなこんなで、ここを離れたころには12時近くになっていました。
お昼は、山久保地区から日光市街へと抜ける間道を通って、その途中にある素敵な草地でのんびり取ることにして車を進める。それにしても、朝8時半頃から始めた今日の石仏調査は、愛宕山の庚申塔に関係しない碑塔を含めてもたったの8基である。半日で調べた碑塔の数が8基という数に愕然としながらも、これも今回は仕方がないと一人納得する。 車の外は、日光連山から吹き下ろす強風で寒く、とてもではないがいつものように草地に座り込んでの昼時間とはならない。仕方なく、車の中での昼食となる。ところで、今日の予定はここまでで全て終了してしまった。日光の山の中にいながら、その後の予定が無いでは情けない。午後の部は何処へ行こうか、一人で悩んでいて思い出したのが、今日は多摩石仏の会の例会石仏巡り日。今頃皆さんは、昼食を取るべくその場所へ向かっている頃だろうと、加地さんの携帯へ電話してみる。電話に出た加地さんの話しでは、私の予想通りに昼食を取る場所へまもなく着くところと言う。都会の中の石仏巡りと、かたや早々と山の中の石仏調査を終えてくすぶっている私という、何とも奇妙な石仏巡り者同士の会話である。それでも、本来の目的である12月1日の那須石仏巡りの最終打ち合わせを終えて電話を切る。
そうだ!。日光の七里地区の地蔵像容庚申塔の写真を撮りに行こう。と、急に思いついて日光街道へと出る。その場所は、狭い日光街道沿いにあるため車が止められないので、途中の空き地へ車を置いて歩いていくことになる。三脚や調査用紙を抱えて車の往来が激しい日光街道を歩き、目的地に到着。早速カメラを三脚にセットして撮影に入るが、お地蔵様が身に付けている赤い頭巾と前垂れをどうするかで悩み、結局はそのままの姿と、裸にしての写真の二通りを撮影する。その右側にある昭和55年庚申塔、こちらもついでだから撮影しようとするが、その前にあるアジサイの枝が前面を覆っていて上手く撮影できない。困っているところに、歩いてくるおばさん二人。早速呼び止めて手を借り、何とか撮影することが出来た。ここまで来たからには、予定外の日光市街地の庚申塔落ち穂拾いをすることにして、いつもの日光市役所へ車をデポ。細い路地を行きつ戻りつしながらの庚申塔探しであったが、どうにか路地奥の民家庭先にデ〜ンと建立されている庚申塔を発見。暫くぶりに、「アッ、見つけっ!」という感動を味わった。こんな所に庚申塔があったとは!、よそ者には、まず見つけることの不可能な場所である。
この辺で、何となく今日の石仏巡り意欲が消失。時計はまだ3時少し前だが、目的とした小来川地区の庚申塔調査は無事に終了したこともあって(それ以上に、日光の町中は寒い!)、心の内は大満足なのである。帰宅するには早いが、こういう時もあって良いだろうとこれまでの小来川地区庚申塔の整理を楽しみに帰路につく。しかしその夜、小来川地区の調査した庚申塔とその写真の総数が合わない。焦って再確認したところ、中小来川地区の2基の庚申塔写真がないことに気づく。マッタクッ、いつもの私らしいと腹が立つが、自分を責めても仕方がないので、予定では次回から日光を離れて栃木県南部へ目的地を変えようとしていたのを取りやめ、次回もそのたった2基の写真撮影のために小来川へ行くことにしよう。そしてついでだから、庚申信仰の「マルメ」についての情報や聞き取り調査をもう少ししてこようと思っている。