石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2008年1月19日・成果の無かった足利市の寺院巡り

2008年01月20日 | Weblog
 昨日、2008年1月19日は足利市の寺院巡りに行ってきました。その目的は、宝篋印陀羅尼経塔の探索です。佐野市の高橋氏を誘おうかとも思いましたが、余りにもくだらない?寺院巡り故に迷惑を掛けることになると思って、一人で行きました。何しろ、どこにも当該石造物は「ない!」と思っているだけに、その「無いこと」を自分の目で確認するだけの寺院巡りなので、空しい一日を過ごすことになるからです。事実、朝からまずは助戸二丁目の龍泉寺から始まった寺院巡り、遠くは西部地区の大前町まで走ってまた市内へ戻り、午後も3時過ぎに10番目の華厳寺まで来ても一つも出会えませんでした。流石の私も途中で嫌になり、未見の庚申塔等を探しては、何とか20余基の石造物を調査しましたが、それが無かったらマッタク惨めな一日になったことでしょう。
 今日は、始めから無駄な一日になるとは覚悟していた物の、やはり意気消沈して帰路につく道すがら、それでもこれで足利市の未調査寺院は残り4ヶ寺になったと気持ちを持ち直す。そしてその帰路途中で、残る1ヶ寺の一つである大久保町の龍雲寺に立ち寄ってみることにする。駐車場へ車を止めて、最初に目に入ったのは大型の宝篋印塔。ここは曹洞宗なので、当然ながら期待などまったくしていなかっただけに急いで庫裡に行き、調査の了解を得る。だが、その宝篋印塔の軸部に刻まれている偈頌文は文字数が多く、加えて浅い彫りなので見た目では完読は不可能である。手拓しなければと、今日初めて勇んでみたものの、既に時計は午後3時半を過ぎている。それでなくても冷たい風が吹いているので、これからその宝篋印塔の4面を水洗いして手拓するには余りにも時間が足りない。最後の最後になって見つかった宝篋印陀羅尼経塔。これは、日を改めて出直しなさいという事かと理解し、次回への調査として龍雲寺を離れた。これで、次回の足利市訪問が楽しくなってきた。寺岡町の元三大師には未調査の宝篋印塔があることを以前に確認しているので、これで間違いなく次回は足利市の新たな当該碑が入手できるのだから、と…。
 それにしても、今のこの時期は手拓するには最も不適な時期。朝だと霧吹きが凍ってしまうし、晴れれば赤城下ろしの寒風が吹きすさぶ、何とも困った時期だが、もう少しで足利市の宝篋印陀羅尼経塔が纏まるかと思うと、そんな悪条件も気にせず、何とか来月中には終了させたいと思っている。
 もし、高橋氏がこれを見ていましたら、是非とも次回はご迷惑でしょうがおつき合い下さい。何しろ残るは、その龍雲寺と駒場町東陽院と寺岡町の正慶寺に元三大師の四ヶ寺のみですので、午前中には終了させてその後は佐野市の私の未見碑塔調査に入りたいと思っていますので…。
 それにしても昨日は寒かった!。私にしては珍しく、一日中ジャンパーのお世話になりました。お陰で、肩が凝ってしまいました。そして今は、あの龍雲寺さんの浅い彫りの石文をどうしたら全文読むことが出来るか、そのことで頭が一杯です。
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