2009年最初の石仏巡りは、1月4日に栃木県小山市へ出かけました。一日が、穏やかな天候に恵まれ、本当に楽しかったです。
さて、今回も小山市の地区毎総ざらいとしての石仏巡りだったので、今回は小山市横倉地区から入りました。そして泉明院へ9時前には到着したので早速調査開始となりましたが、いや〜驚きました。なんとそこにはあったはずの、例えば元文二年銘馬頭観音像容十九夜念佛塔などがなくなっていたのです。少なからずこれにはあせりました。そこで聞き込み調査をしたところ、それらはここからは離れた元の泉明院があった場所へ、色々と都合があって今から10年ほど前に移動したとのこと。ホッと胸をなで下ろし、場所を尋ねて訪れたことは言うまでもありません。
その後は、更に南下して田間地区、そして武井地区へと入り、その武井地区最後の庚申塔調査で、今度は思わずビックリ!、という庚申塔に出会ってきました。
それが、ここへ画像として紹介した青面金剛の足下にいる姿です。青面金剛様が足踏みにしているのは、いわゆる「鬼」でなくてはならないのに、ここでは明らかに「猿」となっています。しかも、尻尾まで刻まれた姿です。しかし、私的には焦りました。なぜなら、ここにはかつて、別のこの様な剣人型六臂青面金剛像容塔があったからです。そこでここでも聞き込み調査して、それが入れ替わってなぜこのような姿になったかが判りました。端的に言って、それは平成15頃にかつての庚申塔に換えて作った石工(石材店)の無知に因るものだったのです。
その後も今度は南和泉地区へ入り調査をしていて、気が付けば時計は既に午後も3時半を過ぎていた。帰宅する頃には暗くなってしまうので止めようかとも思ったが、最後の最後になって目の前にあるのは寶篋印陀羅尼經が刻まれた寶篋印塔。それを記録せずに帰宅したのでは、何とも心残りとなるだろうと覚悟を決めて碑面と向かい合う。その為、やはり宇都宮へ着いたときにはライトをつけて走らなければならなかった。いやはや、今年最初の石仏巡りがこの分ではこの一年が思いやられると一人で苦笑する。
さて、今回も小山市の地区毎総ざらいとしての石仏巡りだったので、今回は小山市横倉地区から入りました。そして泉明院へ9時前には到着したので早速調査開始となりましたが、いや〜驚きました。なんとそこにはあったはずの、例えば元文二年銘馬頭観音像容十九夜念佛塔などがなくなっていたのです。少なからずこれにはあせりました。そこで聞き込み調査をしたところ、それらはここからは離れた元の泉明院があった場所へ、色々と都合があって今から10年ほど前に移動したとのこと。ホッと胸をなで下ろし、場所を尋ねて訪れたことは言うまでもありません。
その後は、更に南下して田間地区、そして武井地区へと入り、その武井地区最後の庚申塔調査で、今度は思わずビックリ!、という庚申塔に出会ってきました。
それが、ここへ画像として紹介した青面金剛の足下にいる姿です。青面金剛様が足踏みにしているのは、いわゆる「鬼」でなくてはならないのに、ここでは明らかに「猿」となっています。しかも、尻尾まで刻まれた姿です。しかし、私的には焦りました。なぜなら、ここにはかつて、別のこの様な剣人型六臂青面金剛像容塔があったからです。そこでここでも聞き込み調査して、それが入れ替わってなぜこのような姿になったかが判りました。端的に言って、それは平成15頃にかつての庚申塔に換えて作った石工(石材店)の無知に因るものだったのです。
その後も今度は南和泉地区へ入り調査をしていて、気が付けば時計は既に午後も3時半を過ぎていた。帰宅する頃には暗くなってしまうので止めようかとも思ったが、最後の最後になって目の前にあるのは寶篋印陀羅尼經が刻まれた寶篋印塔。それを記録せずに帰宅したのでは、何とも心残りとなるだろうと覚悟を決めて碑面と向かい合う。その為、やはり宇都宮へ着いたときにはライトをつけて走らなければならなかった。いやはや、今年最初の石仏巡りがこの分ではこの一年が思いやられると一人で苦笑する。