石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

1月17日も栃木県小山市の石仏巡りでした

2009年01月18日 | Weblog
2009年1月17日も栃木県小山市の石仏巡りでした。
 流石の私も、今朝の寒さには負けてしまい、家を出たのが8時近くになってしまったが、それでも何とか今日の最初の訪問地である小山市西黒田の中公民館に9時前に到着することが出来た。偏に、私みたいのが沢山いたと見えて出遅れた人が多く道路が空いていたお陰であると勝手に想像する。
 さて、本日最初の碑塔調査は、金網で囲まれた中にあるので、先週に教えて貰っていた自治会長さんのお宅を訪ねるのが最初の仕事となる。そして事情を話して、檻?の中に入る許可と地元の方から不審者が侵入しているという問い合わせに対応して頂くことにする。何しろこの柵内には「千庚申供養塔」という、私が求めている数庚塔があるのだから、何が何でも実際にこの手で触れておきたいのである。そしてこの同一場所で調査した碑塔数は総数で二十基となった。加えて、隣の光永庵寺にある碑塔や本堂前にある大きな宝篋印塔等を調べ終えたときには、ここだけで午前中を使い切り、丁度12時となってしまった。となりの霊園の駐車場で、ゆっくりのんびり休憩を兼ねた昼食となる。
 午後の部は、間々田町へ入り、まずは行泉寺さんを訪ねる。住職さんが非常に親切で、分かり難い墓地内にある碑塔などを率先して案内してくれる。そして雑談していたら、奥様は岩舟町の小野寺出身で、大慈寺の林住職とは同級生だったと、思わぬ所で話が弾む。
 辞して、隣の浄光院さんへ行く。境内にある庚申塔は過去に見ていたのだが、今回は全ての碑塔調査の為に再訪である。そして調べていくと、思わぬ碑に出会う。それは、笠付四角柱に刻まれた宝篋印陀羅尼経の銘文だった。このような、思わぬ形態に刻まれた宝篋印陀羅尼経を見ると、まだまだこの世には私の知らない当該形態塔が出てくる可能性がああると認識を新たにした。そんなこんなで、この浄光院さんの墓地内まで調べ終えた頃には早くも午後の3時半になっていた。調査した用紙を数えてみると、総数で52基。一日にしては上出来と、今回はたった三箇所のみで一日を過ごしたことになるが、早くも西に傾いた太陽を見て、今日はここまでと帰宅することにした。帰宅してから、これまでに小山市の実見した碑塔数を数えてみたら1037基と、千基を越える数を超えていた。ヨッシャッ!。これで小山市の碑塔調査は実数の三分の二以上を終えたことになる。と、なんだか嬉しくなってしまった。この調子で、真面目に小山市へ通い続ければ、あと10回位で終了するだろうと先が見えてきた嬉しさも、さらにそこへ加わった。
 次回も、この調子で小山市へ行くぞ!。と。
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