2009年1月10日も、小山市の石仏巡りです。
昨夜までの雨が災いし、外は霧で運転している車はライトをつけている中を、いつものように壬生町経由で小山市へ向かったが、郊外へ向かえばますます靄が深まり、まるで冬山登山で出会うホワイトロック状態である。しかも、その路面は見事に凍っている。ノロノロ運転でも、そんな天候が幸いに自動車数は少なく、いつもの予定時間で喜沢の国道4号線信号へ到着。一瞬、今回は小山市街地の石仏巡りにしようかと思ったが、4号線も空いているのでそのまま南下して間々田4丁目を左折して東野田方面へ向かう。
既に八時半を過ぎたというのに、相変わらず深い霧の中を最初の目的地である御霊神社に到着するも、ここで暫く一休み。そして東から太陽の輝きが増すに連れて霧は晴れ、この御霊神社の外れ一角に祀られている碑塔群の写真を、最初に撮影してから本日の石仏巡り開始となる。
今日は、この東野田地区周辺を徹底的に調べようと思っていたので、調査途中で出会った地元の方を捕まえて情報収集。そして幸いにも、その聞いた方が土地にめっぽう詳しい人でこの地区の碑塔の所在地を聞き出すことが出来たのは、その後の石仏巡りに大いなる力となった。そして東野田町は何とか12時までに終了。その後は前回に廻りきれなかった南和泉地区南部を調査してから東黒田地区も余裕を持って終了。この頃から、兆候のあった北西の寒風が吹き荒び出す。厚着をしてきたつもりだが、それでも寒くなり更にジャンパーを着込んでブクブクに膨れた格好で西黒田地区へ入ったが、日蔭にある碑塔類は写真もうまく撮れなくなってきたので調査を諦める。それでも、かろうじて日向にある碑塔だけを調査し、今回の調査を少しばかり早いが2時半に終了して帰宅する。そんな帰路途中、飯塚地区へ立ち寄って少しばかりの碑塔を拾って、本日の調査碑塔数48基に満足して車の通りが少ないいつもの道を通って帰宅する。
それにしてもこれからの一ヶ月余は、寒さの中での碑塔巡り。それでも何とか今年の春までにはこの小山市から抜け出したく、せいぜい無理をせぬ程度に頑張りましょう!
昨夜までの雨が災いし、外は霧で運転している車はライトをつけている中を、いつものように壬生町経由で小山市へ向かったが、郊外へ向かえばますます靄が深まり、まるで冬山登山で出会うホワイトロック状態である。しかも、その路面は見事に凍っている。ノロノロ運転でも、そんな天候が幸いに自動車数は少なく、いつもの予定時間で喜沢の国道4号線信号へ到着。一瞬、今回は小山市街地の石仏巡りにしようかと思ったが、4号線も空いているのでそのまま南下して間々田4丁目を左折して東野田方面へ向かう。
既に八時半を過ぎたというのに、相変わらず深い霧の中を最初の目的地である御霊神社に到着するも、ここで暫く一休み。そして東から太陽の輝きが増すに連れて霧は晴れ、この御霊神社の外れ一角に祀られている碑塔群の写真を、最初に撮影してから本日の石仏巡り開始となる。
今日は、この東野田地区周辺を徹底的に調べようと思っていたので、調査途中で出会った地元の方を捕まえて情報収集。そして幸いにも、その聞いた方が土地にめっぽう詳しい人でこの地区の碑塔の所在地を聞き出すことが出来たのは、その後の石仏巡りに大いなる力となった。そして東野田町は何とか12時までに終了。その後は前回に廻りきれなかった南和泉地区南部を調査してから東黒田地区も余裕を持って終了。この頃から、兆候のあった北西の寒風が吹き荒び出す。厚着をしてきたつもりだが、それでも寒くなり更にジャンパーを着込んでブクブクに膨れた格好で西黒田地区へ入ったが、日蔭にある碑塔類は写真もうまく撮れなくなってきたので調査を諦める。それでも、かろうじて日向にある碑塔だけを調査し、今回の調査を少しばかり早いが2時半に終了して帰宅する。そんな帰路途中、飯塚地区へ立ち寄って少しばかりの碑塔を拾って、本日の調査碑塔数48基に満足して車の通りが少ないいつもの道を通って帰宅する。
それにしてもこれからの一ヶ月余は、寒さの中での碑塔巡り。それでも何とか今年の春までにはこの小山市から抜け出したく、せいぜい無理をせぬ程度に頑張りましょう!