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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2009年5月9日は、一ヶ月ぶりに今市市の石仏巡りです。

2009年05月11日 | Weblog
 5月9日は、一ヶ月ぶりに栃木県今市市へ戻りました。その一ヶ月間に、野山の草丈は思いの外に伸びていて調査するにも写真を撮るにも厄介な季節になったことを実感しました。特に今回は、ヤマカガシを中心に蛇さんに何度も出会いました。田圃の畦道では、蛇さんとバッタリ出会って、お互いに譲る気持ちはないので、「蛇のくせに生意気だ!」と、足で蹴って田圃の中に落としました。近くに沢山いる蛙さんが、拍手喝采してくれたのではないか?と思っています。
 さて今回は、大型連休も終わったので鬼怒川方面の道路も混んでいないだろうと、鬼怒川温泉地に隣接する大桑町から調査開始です。特に今回は、地図などには掲載されていない神社仏閣を訪れることとし、併せて昭和五十五庚申年塔の実見としました。それを為すには一にも二にも、とにかく聞き込み調査をすること。旨い具合に、この季節は農家の方達が多く出歩いているので見つけ次第に声を掛けて、情報収集。それでも、大桑町では教えてもらった観音堂が見つからずに、少なからずウロウロと時間ばかり浪費しましたが…。それでも、一面田圃の中に建つ小さな観音堂を見つけた時は嬉しかったです。ただ、車を途中に放棄してきたので(車が入れるような道ではなくなったので)、そこへ行くには飛んでもない遠回りをしてしまいましたが…。また、そこには残骸状態となった狛犬の片割れ(像容的には江戸中期頃までか)が置いてあり、佐野市在住の山口氏がもし今市市の狛犬調査に乗り出したときは、まず気付かないので教えてあげなければと写真だけは撮影しました。勿論その場所にある碑塔は燈籠を含めて調査したのは言うまでもありません。
 また、隣りに接する高柴地区では、「こんな所に神社があるの?」というような、とんでもない場所から入る小さな神社があり、そこには昭和五十四年の庚申塔がありました。更に気分を良くし、その西隣の佐下部地区へ入る。この地区の調査はただ一基、昭和庚申年塔だけが実見していないので、農家を訪ねて聞いてみれば、それは砥川を渡った南側の新しくできた民家の裏にあるという。とんでもないところに、昭和五十五年庚申塚を築いたものだと農家の人と大笑いする。
 せっかく、近くにいるのだからと小百地区の楢原を訪れ、うろ覚えの庚申塚を訪ねて調査する。帰宅してからデータベースを検索してみたら、やはり過去に調査済みと分かり、一人苦笑である。その後も、南下しながら大谷向地区の庚申塚を調査したりしながら豊田地区へ入る。この地区にも庚申塚があるが、その場所が「公民館の向かい側」とあるのでこれまでにも何度か探しに来たが見つけられなかったもの。そこで今回は農家へ飛び込んで聞いてみることにした。しかし、答はNO!。公民館の向かい側には昔から何もないと言う。それでも、もしかしたらと忙しい農作業の手を休めて他の家に聞きに言ってくれる。と、そこのおばあちゃんが、それならもしかしたらあそこの農家の裏山にある石の事かも知れないと言う。だが、「生憎と今日は留守なので困ったな!」となり、ほどなく「それほど見たいのなら…」となって一緒に私が付いていけば留守でも大丈夫だろうと留守の家の庭から裏へ回り、念願の庚申塔三基を調査することが出来た。
 そして本日最大の難関は芹沼地区の庚申塚で、広大な山林の中の何処かに庚申塚があるというので、これまでに二度探しに来たが全て見つからぬまま追い返された場所。再確認の意味で、今回も農家を訪ねてその場所を地図を書いて教えてもらったが、それはただ「山の中の西側を三百メートルほど奥に入った場所」と言うだけのものである。とにかくその場所は、60年の一度の庚申当り日にしかの人も行かない場所だという。そして道路から三百メートル奥の中と簡単に言ってしまうが、何の目印もなくしかも踏み跡さえない山の中の三百メートル奥。山へ入ったことのない人には分からない、それはとんでもない広い地域を探すことになる。それでも今回ばかりは意地がある。山の中をあちこちと探し回り、寛政十二年塔から昭和五十五年塔までの四基を何とか今回は探し出すことに成功した。今市市の数ある庚申塚の中でも第一級の探し出す難しさの庚申塚である。もちろん、地図など書きようもない場所である。
 ここで、本日の今市市石仏巡りは午後も四時を過ぎてしまったので終了。今回は一箇所に留まらぬ石仏巡りだったので、次回からはまた前回の続きの塩野室から始めようと思っているが、どうなるやらです。何しろ、山の中にある庚申塚は夏草が繁茂してまもなく探索不可能な時期となるので、その前に一基でも多くそんな庚申塚を見つけたい気持ちも強いから。
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