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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

5月16日も、栃木県今市市の石仏巡りでした

2009年05月17日 | Weblog
 5月16日も、栃木県今市市(現日光市)へ石仏巡りに行きました。相変わらず、山の中のどこにあるかわからない庚申塔探しです。特に今回は、これまでに何度探しても見つからない猪倉地区の庚申塔探しをすることにしました。今までと同じように、山の中をウロウロしながらも一向に見つからず、仕方なしにへ戻っては農家の方に尋ねて誰かに聞いたことのあるという何ともあやふやな情報を元に、その大凡の在処を教えてもらっては山の中に潜り込む。それでも、広大な森の中にポツンとある庚申塔は早々簡単に見つかるはずもなく、今度はその森の持ち主を探し出してその家を訪ねる。そして今度こそはと、教えてもらった森の中に潜り込むも見つからず、仕方なく再度地主の家へ戻って三拜九拜してお願いし、ご主人を私の車に乗せて案内を乞い、何とか探し出し事が出来る始末である。そして自宅へ送り届ければ、昨日15日は60日に一度の庚申講だったので、その時の庚申掛け軸などがあるから見ていくかとなって、暫しの時間を過ごしてしまう。こんな石仏巡りだから、朝八時から始めた石仏巡りだが、午前中を終えて本日の調査庚申塔を数えてみれば、四箇所の6基のみという有様であった。それでも、この地区ではどこでもまだ60日に一度の庚申講を続けていることが判って何となく嬉しくなった。
 お昼は、川沿いに満開となって咲いている藤の花を眺めながらの昼食とする。余りにものんびりした風景の中にいたためか、思わぬ時間を過ごしてしまった。
 午後も、まだ未見の庚申塔探しを行う。午後最初の場所は、点在する毎に庚申塚の在処を訊ね歩くが、誰も知らないと言う。老人のいる家を教えてもらって訪ねるが、生憎と皆留守である。それでも諦めきれず、庚申塚のありそうな山の中を覗いて歩くが、所詮は見つかるはずもなく、ついに諦めて別の場所へと移動。
 その神社裏山の中には沢山の庚申塔があることが判っていたので、早速に調査したのは言うまでもないが、境内を覗いてみるとそこには昭和24年に当地を激震とした今市地震による復旧碑があった。栃木県内の災害碑にも関心のある私としては無視するわけにもいかず、長文だが時間をかけて一文字ずつ丁寧に書き写す。そして碑面を水洗いし、写真を撮る。そんなこんなで、終わってみれば早くも午後3時半を過ぎてしまっていた。この頃から、心配していた雨が落ちてくる。本日の予定では、あと二箇所ばかりを訪れる予定だったが、今日もそれなりに成果は大だったのでここまでとし、のんびり帰宅する。
 それにしても、夏草の繁る勢いは早く、先週以上の背丈となってそんな中にある碑塔探しは勿論のこと、写真撮影にも難儀する季節となってしまった。次回も、そんな山の中や草の中に潜ってしまった庚申塔探しに行こうと思っている。何しろ、まもなくそんな庚申塔探しも、したくても出来なくなる季節となるからだ。

 それにしても、先週の石仏巡り記案内を別HPに掲載しないうちに一週間が過ぎてしまった。今週の分と併せて、早く掲載したいと思っているがここのところ仕事に追われていてなかなか自由時間が作れないでいる。困ったことだと思っているが、それも今週は中頃までには何とかなるだろうと思っている。
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