朝から雷が鳴り雨が降っていたが、どうせそのうち晴れるだろうと信じて都賀町まで来たが、雨は上がらずに10頃まで雨傘を差しての石仏調査となる。特に朝一番で訪れた家中地区の磐裂根裂神社の軍馬徴発塔の銘文書き写しには閉口した。何しろ一般では使われない漢字が多用されているので、その書き写しに夢中となり背中はびしょ濡れ、書き写す台帳もびしょ濡れとなり車へ戻った時はヤレヤレであった。その後も雨は止まず、結局は家中地区を終わった頃にようやく太陽が出てきた。
今回は、都賀町を終わらせる最終回のつもりで来ているので行くところは沢山ある。過去に銘文精読がなされていない碑塔も全て回る予定なので忙しく、あちこち駆けずり回る。特に、都賀町南部の平川と升塚地区は未見の碑塔が多く残っているので、地元の人を見つけ次第に聞き込みを繰り返し、何とか今回でこの地区も終了することが出来た。そして最後に訪れた、升塚地区の愛宕神社へ向かうと、その入り口に双体道祖神が新しく建立されている。ここは、石祠ながら「道祖神」として祭られているところだったので気になり、その双体道祖神の裏面を見てみると平成十五年に氏子中で祀ったことが記されていた。いま流行の、石屋の観光目的や興味半分の双体道祖神ではないのでホッとし、記録に納めることにした。それが今回の画像風景である。私がここへ以前来たのは、2002年だから、その翌年に建立したことになる。やはり10年を経過した場所へは、その近くを通った時は立ち寄らなければならないのだろう。
さて、今回の調査で都賀町の実見できた碑塔数は総数で323基である。個人宅にある飼馬供養塔やら目の前にあっても見せてくれない碑塔等を除くと、多分都賀町全碑塔の90%以上は確実に調査したことになるだろうから、これで都賀町の碑塔調査から脱出しても良かろうと思う。
そこで、次回は佐野市在住の高橋氏からご教示賜ったまま訪れていない田沼町の六地蔵を見に行こうと思う。もちろんそのついでに、周辺のまだ見ぬ碑塔を含めてのことになる。今から、1石に浮き彫りされた六地蔵に会えるのが楽しみである。