石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2010年7月10日も栃木県西方町の石仏巡りでした

2010年07月11日 | Weblog

 朝から真夏を思わせる、ギラギラした太陽が輝いている。先週の反省から、替え着を持って本日は西方町の中の本城地区を終わらせようと意気込んで乗り込む。本城地区の主だった場所は探索済みにつき、今回は最初から聞き込み調査から開始である。そして大沢田地区に廃寺跡があり、そこには沢山の碑塔があることが判明。喜び勇んで行けば、そこが大沢田地区の集会所となっている場所だった。そう、うかつにもこの地区の集落センターを見逃していたのである。そこには享保年間の庚申塔を始めとして十九夜塔が何基も並んでいる。朝一番からの大ヒットに大喜びで調査に専念したのは言うまでもない。今日は、ここ暫くぶりの快晴なので、それらの碑塔写真撮影もバッチリである。さらに、その燐家に住むご主人から、仲宿坪の墓地内にも私の見ていない十九夜塔があるという情報を頂く。ここの調査を終えて、その場所へ行ってみればそこは小さな墓地なので所在を確認しながら面倒で立ち入らなかった墓地。そこにも、6基もの十九夜塔が並んで建立されていた。早朝から、いきなり合計で19基もの新しい碑塔を調査できた嬉しさで、その後は過去に調査済み碑塔の再調査へと切り替え、まずは長徳寺さんへ向かう。ここも古くは1995年に調査済みなので、見落としや記録間違いが無いかを確認して行く。そんな時、地元のご婦人が本堂の掃除が終えたから一緒に一休みしましょうとなり、冷たい飲み物や茶菓子をご馳走になりながら世間話となり、時計は早くも12時となる。
この次の訪問予定は、すぐ近くにある同じ曹洞宗の寒露寺さんなので、その隣の運動公園へ行き、木陰でのんびりした昼食時間となる。
そんな昼食時間も12時45分には飽きれ、早速午後の最初の訪問地として寒露寺さんへ乗り込む。当然ながら、ここも既に調査済みなので、することは写真撮影と銘文確認だけである。そんな折り、住職さんが出てこられて、何としても読めない碑があるので、それを教えてもらいたいと言うことになり、それからは住職さんのいう碑の石文解読となる。その後は親しくなって風通しのよい境内でやはり冷たい飲み物をご馳走になりながら石仏等の話となり、道路沿い入り口にある碑塔を一緒に見たりして長居をしすぎて、時間は又田夢魔に過ぎて早くも3時半を回ろうとしている。予定では、もう少し本城地区を巡る予定だったのだが、寒露寺さんを辞してからは今日の思わぬ新しい収穫に加えて、訪ねた二ヶ寺さんでの心温まる接待にも嬉しくて、そのまま今日は終わりにして早めの帰宅となる。それにしても、今日一日で顔も腕も赤銅色になってしまった。家内に言わせると、皮膚癌の元だと脅迫されてしまう。
掲載した写真は、最初に訪れた大沢田地区の碑塔風景一部である。地元の方の話では、ここに「ショウトク院」とうお寺があったそうです。さて、次回も飽きずに西方町を訪ねる予定です。
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