石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2010年9月18日は、栃木県上河内町の石仏巡りで

2010年09月19日 | Weblog

今回は、当地の石仏巡りを終了させようと本気になって出かけ、午前8時には最初の調査を開始していました。特に今回は、平地の石仏巡りにつき夏場の暑い盛りでは些か閉口すると先延ばしにしていた場所ばかりなのだが、それだけにその多くは所在地が大体把握出来ていたので気が楽であった。しかし、上河内町のメイン道路といってもそのほとんどは道路沿いに車を止められないほど狭い道路ばかりなので、公民館などの駐車できるスペースを確保できるや、そこへ相変わらず自動車の窓は全開したまま放置して、後は歩いての石仏巡りとなった。それでもさすがに、共同墓地での1時間以上にも渡る調査を終えた時は、不法駐車で誰かに撤去されてしまっているのではないかと、急ぎ足で戻ったが、何の被害も無くそのまま放置されていたので安心した。
 そんなこんなで、午後3時半までに49基もの碑塔を調査できた。しかしそれでも、最後の最後になっての「愛染明王」文字塔探しには往生した。出会ったご老人に、昔は橋の袂に他の碑と共にあったと教えてもらったのだが、いくら探しても見つからないどころか、通りがかったオートバイを止めて尋ねても、少しもらちがあかない。こうなるといつもの意地となって、その地区を徹底的に巡りそして尋ねる苦労をして、最後にそれらの碑は、田んぼの中の農道沿いに移したということが分かった。その風景が、ここへ掲載した写真である。左から、天明八年銘の庚申塔。中央が探していた「愛染尊王」とある寛政四年銘、そして右端がこんなところで出会ったことに驚いた「録事尊」碑であった。これで栃木県内での「録事尊」碑は17基となった、喜ぶべき碑との出会いであった。これでもって、上河内町の碑塔巡りは一部の碑と、一部の地区の神社未訪問を残して終了したことになる。その上河内町碑塔総数に対する実見確率は間違いなく90パーセントを越えたので、あとは機会を見つけての訪問として今回で終了とする。
 特にこれからは石仏巡りには最適な季節となるので、これまでに溜めてしまった気になるあちこちの碑塔調査に出歩こうと思っている。日光、足利、矢板市などとその範囲は広いが、まあ秋の季節を愛でながらの石仏巡りとなるだろう。
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