相変わらず、宇都宮市内の碑(いしぶみ)調査を主体とした石仏調査ですが、今回も少しもはかどらず訪れた場所はたったの4箇所のみでした。特に今回は、個人宅が二箇所だったので、お茶をご馳走になりながらの調査につきはかどらないことこの上なしでした。特にその内の一箇所は、碑そのものが別のお宅に移転されていてそれを探すのにとてつもない時間を費やしてしまいました。途中で、捜査を断念しかけただけにようやく見つけたときは抱きつきたいほどの思いでしたし、その見事な碑にも執念で探した甲斐があったものだと嬉しくなってしまいました。そしてここへ掲載した碑は、今年初めに当初を訪ねた時に確認していたもので、この時代に大砲を発射実験した砲術士が宇都宮にもいたことを知り、驚いたものです。
その概要を下記に記すと、
「戸田宇都宮家臣鳥居流砲術加藤免遊義重行年七十於此野發壹貫目鉛九至三十六町時 天明二壬寅年四月廾四日」
「免遊加藤郷右衛門義重門人 嗣子同郷右衛茂英門人」「享和元年鳥年七月廾3日建之」
とあります。
今回は、またしても途中で腰が痛くなり、加えて風がビュウンビュウンと強く吹いていたので、どの碑も手拓をしたかったのだが断念です。機会をみて、再度訪問するつもりです。
現時点で、宇都宮市の碑(いしぶみ)として調査できたのは丁度30基。あと、10基位は調査できたら一応の区切りにしようと思っているが、それにはあと二ヶ月程を要するのではないかと思っています。それにしても、改めて碑調査の難しさを実感していますし、その調査清書には莫大な時間を必要とすることも再認識しています。漢文の読み下し、これに取り掛かるとまたまた更なる膨大な時間が必要なので、今回はそれを省略しようと思っています。嗚呼、浅学の身を嘆くばかりで困ったものです。