今回で、大方の宇都宮市街地の碑(いしぶみ)調査は終了にしようと、これまでに残っていたお寺さん墓地を訪ねて出かけました。最初に新町の台陽寺、ここに堀貞道(宇都宮藩を脱藩して水戸の武田耕雲斎のもとで戦った宇都宮九志士の一人で水戸の長岡村で捕らえられて斬られた。時に21歳)の墓碑があり、そこに碑文が記されていた。その撰文者は、当時の宇都宮では第一級の漢学者とされた圓山信庸であり、氏の撰文碑を初めてここで見る。また、篆額と書は、これまた一流の書家とされた關貞良である。嬉しくなり、ここで予定外の手拓をすることになり、後で画仙紙が不足して困ることになる。
さて、そして上に掲載したのは、今年の春に調査した縣六石の大きな碑に記されている和歌で、福羽美静の書になるものである。手拓するには脚立が必要で、その時は諦めたが、こうして半年もするとまたしてもどうしてっも欲しくなり、再びやって来てどうやって手拓するかその碑の前で思案する。そして社務所に出向いて、手拓許可願いのついでに脚立拝借を申し出ると喜んで貸してくれるという。喜び勇んで脚立を担ぎ社の中の敷地に入って、早速水張りを開始した。ただ、今回もママチャリなので持参したのは半切の画仙紙のみ。それを三枚連ねて水張りしたが、最初の出だしに大きな皺が入ってしまった。本来なら、やり直しだが、今日は他にも手拓する予定の碑がある。それを考えると画仙紙が足りなくなってしまうので、仕方なしにそのまま墨入れしてしまった。それでも、まあ帰宅してからパソコンに取り込むときに修正すれば良いと、変な納得でしまいこみ、今日の大きな収穫に自然と笑みがこぼれる。(ここへ掲載した画像は、パソコンで適当に編集したものです)念の為!
その他、これまでに調査した碑の再確認やら資料を渡さなければならない寺院巡りで忙しくして、今日も昼食を取ったのは午後も2時を過ぎてしまっていた。それでも、まだまだ手拓をしなければならない碑が沢山あり、次回はしっかりと画仙紙を用意してこようと、今度はお店に行って画仙紙購入となる。しかし、考えてみればこれからは寒さ厳しい冬の陽気。水張りした瞬間にその水が凍りつく季節なので、そんなには手拓出来る季節ではなさそうだと、自転車で持ち帰るには何とも不便な用紙を抱えて、帰りもあちこちの部分的な手拓を繰り返しながら帰宅する。
次回は、多分宇都宮市郊外の落穂拾いと言うべきか、いままでに見つかっていない碑の探索に行こうと思っている。