石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2010年11月22日は、仕事途中での石仏巡り

2011年11月23日 | Weblog


 昨日22日は、栃木県烏山町(現在は那須烏山市)へ仕事で出かけるついでに、烏山郷土資料館敷地内にある石造物を調査しに行きました。特にその中でも、ここへ掲載した「弐拾三夜供養塔」は、ぜひ手拓が欲しかったもの。そうそう、その本体は自然石で高さ122cmばかりのものです。
内容は、当地金井町の人々が毎月行っていた二十三夜の月の出の光を拝す二十三夜講を行っていたので、その供養塔を建立をすることになった。併せてその下部に道標文字を記したので旅の人々の安堵も兼ねたとある。
 栃木県内でも二十三夜塔は沢山あるが、このようなその当該塔建立の趣旨まで記されているのは非常に珍しい。しかも、年代的に享和三年という江戸中期なのも嬉しいものである。
 さて次は、栃木県で初めて確認できた石造物に「自恣日」と、その紀年銘の一部として記されている珍しいものである。

 上の写真に見るように、「南無阿弥陀佛」と大きくきざまれている名号である。この段階では、ありふれた名号塔として「まあ、ついでに記録だけは取っておこう」と、記録簿に記入し、次いでその紀年銘に移って「寶永五戊犬天」と右側を記入し、半分の左側へ目をやって一瞬固まってしまった。それは、そこに滅多なことでは出会えない「七月自恣日」とあったからだ。つまり、七月の自恣日だから「十五日」のことであり、それは夏安居(げあんご)の最終日の紀年銘となっていたのである。「いや~あ、これだから石仏巡りは面白い」となるわけで、仕事ついでの石仏巡りが思わぬ大収穫となった一日でした。
 そんなこんなで、今回はここ一箇所での石仏巡りとなってしまいましたが、来月後半にもまた烏山町へ行くことになるので、今回は時間の関係で巡れなかった面白い物をご紹介したいと思っている。

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