石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2011年12月04日は宇都宮市内の石仏巡り

2011年12月08日 | Weblog


 上に掲載した「自保堂楳澗先生之墓」、宇都宮市南部の鬼怒川沿い下桑島町にあるというが、これだけを探すために実に4回も桑島地区へ行きました。そして今回は、集落のかたまった地区へ行っては一軒づつ尋ね歩きました。一言に下桑島地区といっても、それを一軒づつ訪ね歩くのは大変でしたが、それでも何とか今回は、その尋ね歩く途中の個人墓地内でご覧の碑を発見することが出来ました。尤も、それからもその墓地がどこのお宅かを知るのに苦労し、ようやくそのお宅へ辿り着いて、調査許可を得られた時は、心底からホッとしました。もちろん、碑陰にある碑文を手拓したのは当然です。それにしても、最初に探したのは四月という有様なので、実にこの1基に巡りあうまで8ヶ月も要したことになります。幸いなことに、碑陰の碑文は平易な漢文だったので、ここのところの難解な解読作業に疲れていたので、その点でも嬉しくなりました

次に掲載した写真は、かつて西刑部町の共同墓地内で確認しながら十九夜塔の調査だけで次回回しになっていたものです。その時は、丁度手拓用紙が切れていたので碑陰にある和歌が手拓出来なかったので、今日までその再訪がのびのびになってしまっていた次第です。

それがこれで、「元信先生之碑」とある碑(いしぶみ)の碑陰にあるもので、これは私にとっても共感できる内容となっていたのです。つまり、
「萬代の宝を 後に積むよりも ただ壱人の友ほ ほしけれ」とあり、この時代でも本当の友を得るのは難しかったのかと、わが身に置き換えて納得できた内容でした。
 その他、残りは余りにも痛みが酷い碑だったので未調査だったものを手拓したりして帰宅しました。尤も、帰宅してからその碑を解読しようとしましたが、現時点ではその十分の一くらいしか進んでいません。そのほとんどは傷ついていて読もうと思っても出来ない状態。後は、根性との勝負となりそうです。