今年の12月は寒い!といいつつ、今回は宇都宮市内の新たなる碑(いしぶみ)探索に行きましたが、そう容易く見つかるはずもありません。仕方なしに、未調査碑として取って置いた旧4号線(日光街道)沿いの菅原神社&台新田公民館にある、「日露戦役紀念之碑」に行きました。これは、明治39年四月に建立されたものですから戦役終了の翌年に建立されたものです。そして、この碑文を撰文・揮毫したのが最後の宇都宮藩で重臣を勤めた藤田安義です。彼はこの歳に亡くなっていますから、おそらくこの碑文として揮毫したのはこれが最後となるものでしょう。内容的には、日露開戦への理由と大勝した内容で、地元で出征した七名も無事に凱旋したことが記されています。ただ文脈的には、この碑文中にも「衰老不文」とあるように、それまでの彼の碑文とは違って勢いがないのは仕方がないことなのかもしれません。それでも、宇都宮にある日露戦役紀念碑としては一級の内容となっています。そこで、これも手拓が欲しくなりなり、隣では駐在所のおまわりさんが自動車の違反運転取締りをよそ目にして、前回購入した画仙紙が酷すぎたので午前中に改めて買い求めたまっさらな画仙紙を取り出して水張りを開始する。と、おまわりさんは違反取締りよりもこちらの方が気になるようで、最後にはとうとう取締りを中止して私のやることを眺める始末になりました。その後は、ついに墨入れするまでの一時間余を一緒になって雑談しながら過ごしてしまいました。そんな意味を含めて、今回の手拓作業は思い出に残りそうです。
終われば、既に時計は三時を過ぎていて碑にあたる光もご覧の有様。おまわりさんに、作業をする前に写真を撮れば良かったのに、と言われてしまいグーの根もありません。そんな訳で、この写真撮影を最後として共にその場を離れて私は帰宅しました。おまわりさん、駐在所に戻ってなんと言い訳するのか聞きたかった思いがしつつ。
さて、明日からはクリスマス三連休。今度はどこへ行こうか思案中です。多分、宇都宮市街地の今度で何度目になるのか分からぬ碑の再再再校正のために、該当碑を眺めてこようかと思っていますが…。第一級の寒波がくるというので、どうなりますやら。少なくも一基は手拓をしたいと思っているので、雪の降る中での手拓だけは勘弁こうむりたいところです。
そんなこんなで、夏ごろから行きたいと思っていた県南地区行きは未だ実行されず。多分、年末の30日頃にのんびり行くことになるでしょう。