今回は、土曜日が雨だったので部屋でのんびりし、10日の日曜日に宇都宮市内をはじめとしてあちこちへ出かけました。
特に、朝一番で訪れたのは宇都宮市若草町の公民館にある、上に掲載した画像の宝篋印塔。銘文等は既に調査済みだが、今回は塔身を手拓にあった。というのも、宝篋印塔を文字で書けば、誰が書いても「宝篋印塔」となるのだが、なぜかここでは「篋」の文字が、画像の右側へ掲載したように「鏡」となっている。これは、栃木県内の数多くの宝篋印塔を見てきた私にしても始めての出会いだった。それだけにこれは、拓本として残しておいた方が良いだろうと、「鏡」の部分だけを手拓したのだが、終わって眺めてみるとその瑞雲の模様も面白くなり、結局は4面とも手拓してしまった。ホントッ、馬鹿なことをして時間つぶしをしたものだと苦笑い。それから用事があって、二荒山神社へ行きそそくさと用事を終わらせ急いで車に乗り込み、同じ宇都宮市でも北部に位置する小林氏宅へ昨年に拓本を取らせていただいたものを差し上げるために訪問。留守だったので、メモを残して残したままだった周辺の石仏調査。新しい石造物を3基ほど調査すれば、もうまもなくお昼。
今日は、のんびりした石仏めぐりが目的。そこでここまで来たからには田園風景の広がるところで昼食にしたいと、少しばかり足を伸ばして上河内町の鬼怒川縁に行く。のんびり、ラーメンを食べた後もそこで過ごしているうちに「そうだ、どうせ暇ならこの近くの山の中にある石碑を手拓しよう」という気になって、移動。手拓道具一式をザックに入れ、山の中の水神神社への石段を登って目的地に到着。山の中の周囲を木々に囲まれているので風は全くなし。しかしその分、湿度は間違いなく100パーセントで、これは画仙紙を不用意に張ったのでは乾かないと判断し、いつもとは方法を変えて出来る限り水を使わずに画仙紙を貼る。案の定、それでも墨入れが出来るようになるまで時間がかかり、その間は押し寄せてくるやぶ蚊と戦って時間を過ごす。半切で3枚を取って飽きれてきたが、上部にあるのは珍しく篆書体ではなく隷書体。どうせなら、こいつも手拓してしまえとなり、結局この場所を後にしたのは午後も3時半になってからだった。そうそう、それと上河内町で初めて出会った宝篋印塔があり、しかもこの町にしては感心なことに宝暦年間であり、宝篋印陀羅尼経の偈文と共にまじめな願文まで刻まれていた。いや~、宝篋印塔狂いの私としては何とも嬉しい話だが、困ったことには今年はじめにこの地区の宝篋印塔調査記録をまとめてしまったばかり。今更追加は出来ないので、まあ潔くあきらめどこかで追加発行としよう。
それにしても、宇都宮市の碑(いしぶみ)調査の呪縛からようやく逃れることが出来、その何ともいえない開放感。これからは、のんびり気分の向くままの石仏めぐりが出来そうである。