石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2012年7月14日の鹿沼市石仏巡り記

2012年07月16日 | Weblog



 先週14日の土曜日に、相変わらず栃木県鹿沼市の石仏巡りに出かけました。それにしても、いや~あ蒸し暑かったですね。朝から汗びっしょりに加えて、自分の汗臭さに参った一日でした。今回は、最初に寺町の雲龍寺へ行って「淇水舟越君墓」の手拓を行いました。これは、鈴木石橋塾「麗澤之舎」二代目の鈴木之綱が撰文と揮毫したものです。建立されたのが文政六年ということもあって、刻字のあちこちに傷等があって解読に頭を悩ますことでしょう。それにしても、こうした墓碑銘は鹿沼市に限らずそのほとんどは50年前に読まれただけでその後は誰も精査をしていない。したがって、相変わらずその当時に調査された碑文だけが一人歩きして、今回にしてもその手写間違いがたくさん見つかった。それだけにまたしても、私でなければ出来ない精査がこの鹿沼市でもやらなければならないのかと、少し気が重くなる。それでも、今回の雲龍寺さんのように、その認識があって非常に協力的なことに感謝しつつ、この暑さにも関わらず手拓が出来る喜びで夢中になって、三面の拓本を取ることが出来た。今日は、手拓作業はここで終わりとし、それからは鹿沼市街地の石仏巡りとする。そして午後から向かったのが、千手町にある千手観音堂。とにかくここにはたくさんの興味ある(私にとってはだが…)碑塔がある。最初に調査したのは、もちろん近世の宝篋印塔にある宝篋印陀羅尼経文の手写。そこには、暫くぶりに出会った恐ろしいほどの偈文が刻まれている。こういうのに出会うとつい嬉しくなって、蒸し暑さも忘れて熱中することが出来ました。その他、読誦塔に始まり十九夜塔や興味ある文字塔等など、気が付けば遊園地が営業終了となる4時になっていた。まだまだ、調査したい碑塔もあるが、写真を撮るにもいつしか曇り空となって三脚なしではカメラブレになってしまう程である。次回には、手拓したい碑塔もあるのでその後は4時半まで当該碑塔の水洗いをしてから、本日の調査を終了して帰宅する。
 ここへ掲載した写真は、そんな中の十九夜念佛塔主尊の如意輪観音様の姿。なんとなく、私好みの表情をしていたので、台座を含めた全体像ではなく、本尊様だけを本日最後に撮影して車に戻りました。
 そんな訳で、次回はこの千手観音堂からの石仏巡り開始となります。嗚呼、それにしてもこれからの暑さ対策を考える時が来たようだ。一層のこと、今夏は石仏巡りをせずに部屋に閉じこもり、これまでの調査内容を纏めたりしようかと、弱気になっている。

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