石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

鹿沼市・浅間山災害碑と嶋元鷹の碑文を掲載しました

2012年10月23日 | Weblog

最初にこの碑と出会ってから、それこそ長い年月が経ちました。しかし、それは自分の趣味範囲としてどこにも発表せず、かろうじて埼玉県小川町に在住の高瀬正氏を2007年に案内しただけでした。その後、高瀬氏はその碑文を「日本の石仏」誌上等へ発表していましたが、私にとってはそれを流し読みしただけで自分の調査した碑文との再確認をしないまま放置していました。ところが最近、手持ちのダブっている「日本の石仏」誌を図書館に寄付すべく整理していて、この災害碑の発表文を偶然に目にしました。改めて目を通しましたところ、彼の高瀬氏にして銘文の数箇所に誤りがありました。多分、校正段階で気づかなかったものと思われますが、何となく残念に思いました。そこで、秋の夜長を利用して自分で手写したものを整理してここへ掲載することにしました。ただ、いつものように碑文に使われた文字は最大限、実際に碑面に刻まれている文字形に近くなるよう作字してありますので、読みにくいかと思います。そしてそして、その読み下し文は、毎度のことながら「述而不作」として掲載してありません。
※掲載場所はいつものように、小生のHP「栃木県石仏」の中の「栃木県の石造物公開データ」中、「鹿沼市・浅間山災害碑と嶋元鷹の碑文」となっています。興味のあります方はご笑覧ください。それにしてもここのところ、調査した碑塔の整理に追いつかない状態で、次の石仏巡りへと進んでしまっています。従いまして、石仏巡りに出かけるほどに未整理原稿が山積してしまう有様。これからの手拓絶好機とあわせると、本当に悩んでしまいす。この悪循環を断ち切るには、一度石仏巡りに出かけないことなのですが、それが出来ない悲しい性の私です。嗚呼、困った、困った! 

 そうそう、それと以前に一度掲載していまして途中から論考に問題点が発生して掲載を中止していましたもの、ついでに新しい内容に替えて掲載してあります。これも興味のある方は、ご笑覧ください。場所は栃木県の寛文年間「請け仏(迎え仏)」像容石幢。この手の、請け仏像容塔としては、栃木県としては興味津々たるものです。なお、現地にて実現したい方は事前に小生までご連絡ください。個人墓地内にありますので、無断での拝見や調査は厳に慎んで下さい。

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