石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2013年4月20日は鹿沼市の教育に関する碑の最終調査でした。

2013年04月22日 | Weblog

約1年をかけて集めた、鹿沼市の教育(筆子塔を含む)碑の調査が、今回でようやく終了しました。上記に掲載したのは、その最期の1基となる、上南摩小学校の校庭で碑石近くに建立されていた二宮金次郎の石造です。これも何かの縁と撮影し、帰宅してから眺めていて思いついたのは、この画像を今回の碑文調査纏めの表紙写真にしよう、と。
さて、肝心な関係碑は、合計で26基。これが一市として少ないか否かは判りませんが、私的には江戸後期から明治にかけての地元教育に心血をそそいた人々の記念碑がこんなにも建立されていたことには感動ものでした。そしてその殆どの碑文を手拓できたのも、嬉しいことでした。ただ、余りにも偉すぎた先生の墓碑銘文は調査願いさえ申し出られずに未調査。また、調査そのものを断られた碑が一基ありましたが、これは小生の未熟さゆえにと今回は掲載を諦めました。また、風が強くて手拓了解を得ていながら未了なのが3基。まあこれは一ヶ月以内には物にしようと思っています。
そんなこんなで、これを以って暫くは鹿沼市から離れようと思っています。尤も、鹿沼市の石造物調査そのものは終了していないので、これからは気の向いたときに鹿沼市へは訪れることにします。そんな次第で、多分、暫くはその日の思いつきで出かけることになるでしょう。また、今回の調査報告書を一冊に纏める作業が待っています。これがまた大変で、いつになったら出来るかと思っています。半分は、その成果を纏める楽しさと、半分は面倒くささが同居の心境です。

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