石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2014年05月10日は栃木県氏家町へ石碑調査に行きました

2014年05月15日 | Weblog

 栃木県氏家町の石仏巡りは、15年以上も前に行ったきりだったが、今回はその氏家町へ石碑調査に行きました。と言っても、どこへ行けばお目当ての石碑があるかが判らないので、取りあえずは境内に尼港事件の慰霊塔がある氏家街中の光明寺さんへ行く。それが上記に掲載した写真である。但し、それは私が思っていた尼港事件によって殉難者となった方の慰霊塔ではなかったのが残念。それでも碑陰に短い文章が刻まれているので生憎の強風の中ながら無理して手拓する。次は、氏家町押上地区にある旧信国寺跡の薬師堂にある個人頌徳碑。郊外に出ると、風はうなりをあげて吹いている。手拓する話どころではない。それでも、多分その石碑は苔で嫌らしく汚れているだろうから、その掃除だけでも次回のためにしておこうと向かう。その途中、長久保地区にて薬師堂が目に入り、寄り道。ここには男体山碑があるので1995年代に来ている場所であったが、そこにある近世宝篋印塔を始め他の石仏類は未調査だったのでついでに調査することにした。宝篋印塔は宝暦年間のものだったが、銘文が磨耗していて陀羅尼経文を読むのに一苦労。そんな調査が終われば、早くも時計は12時。これはいかんと、本来の目的地である押上地区にある薬師堂へ向かう。薬師堂前の空き地に車を止め、早速石碑を見に行けば予想通りの酷い状態。相変わらず風は強く、電線が悲鳴を上げている。いずれにせよ、ここで昼食として車の中にいれば真夏のような暑さを共に味わいながら、午後になれば少しは風も収まるかと様子を見ることにしてのんびりする。それにしても、天気予報では風も収まり絶好の行楽日と言っていたのは何なのだろうと思う。
 さて、一向に弱まらない風を相手にしていても仕方がないと車から出て、金属ブラシに亀の子束子を手にして石碑と向かい合い、ゴシゴシと水洗い。約1時間ばかりで、今までとは見違えるような綺麗な石碑となる。これで、風さえ穏やかなら今すぐにでも手拓できるのにと悔しがりながら、ここにもある男体山碑を始め他の石仏全てを再調査する。そしてまだ帰宅するには早すぎる時間を、周辺にある石仏を暇に飽かして調査しつつ、西隣の塩谷町まで来てしまう。予定では、ここから又氏家中心地へ戻り、勝山城址公園にある戦争碑を調査知る予定だったが、戻るには遠くへ来てしまっていた。そこで、そう言えば塩谷町にも幾つかの未調査石碑が残っているのを思い出し、急いでバックの中にあるはずの「未調査石碑一覧ファイル」を探したが、塩谷町地区のファイルが無い。まさか、今日は塩谷町へ入るとは思ってもいなかったので家に置いてきてしまったようだ。そこで潔く、今日の石碑調査を諦めてその後は新緑に溢れた農村地帯をのんびりドライブしながら帰路に着く。