石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

今年最初の石碑御紹介は田沼町の大正戦役(今は第一次大戦という)紀念碑でした。

2017年01月21日 | Weblog

今年最初の石碑巡りは1月09日で、田沼町飛駒地区の駒形神社本殿西側に建立されている、ここに掲載の「大正戦役紀念碑」だ。この日は、朝は雨だったが天気予報では9時頃迄にはその雨も止んで穏やかな天候になる予定だった。しかし、現地へ着いてみたが雨は一向に止まず。仕方無しに、他の地区の神社を訪ねては石碑等の石造物調査もれがないか確認して歩く。だが、10時になるも雨は止まず。そして再びこの石碑の前に立ち、悩むこと暫し。眺めているうちに、その石碑の表どころか碑陰にある銘文も話にならぬほど汚れている。そこで、どうせ雨が降っているのなら碑面を綺麗にするには最適だと考えて、相変わらず掃除道具を車から持ってきて汚れ落し。持ってきた水では足らず、近くに流れている沢水からバケツで水を汲んできて、これでもかというほど碑面に水を掛けては又、碑面にこびりついたヌル等の汚れが落ちていない箇所を掃除してはまた水を掛け、特に銘文のある碑陰はこれ以上綺麗に出来ないほどの仕上がりにした。まもなく11時になろうとするのに、雨はそれでも止まず。しかしここまで綺麗にすると、このままにしてこの場を去るにはしのびず、雨が降っている中での拓本採りを初めて挑戦することにした。勿論、良い拓本など採れるはずもないのは百も承知である。それから2時間以上、次から次へと碑面に着く雨との戦いとなって、初めて拓本採りに挑戦した人のようなひどい拓本を仕上げることが出来た。それから今日まで、少しでも手隙な時間があれば、少しずつパソコンに取り込んだ拓本の修正作業を繰り返し、何とか調査書には掲載出来るまでの拓本に仕上げることが出来た。
さて、一般の方は「大正戦役」と言われても、今では何のことだか判らないようである。そして石碑を県内全域を対象としている私にしても、この大正時代の戦役記念碑に出会うことはメッタに無く、当然ながらその銘文中には「第一次世界大戦」なる文句は全く出てこない(第一次世界大戦という言葉は、第二次世界大戦と云う名称に対して作られた言葉なのでこの時代に使用されていないのは当然といえば当然なのだが)。勿論、当田沼町においても、第一次世界大戦に関する石碑は唯一これだけである。私としては、この銘文中に「尼港事件」のことが少しだけでも触れているかと期待したが、それは無かったものの、まあ希少価値のある石碑として拓本が採れたと喜ぶ。それも雨の中での手拓作業にて。
それにしても、拓本を撮り終えた頃からようやく雨も上がり薄日さえ差してきた。急いで三脚を車まで取りに行って撮影したのがこの写真である。どうですか!ここまで綺麗に掃除した成果は(作業前は、この大きな文字さえ読めないほどでした)。碑陰は、この何倍も綺麗にしたので、機会があれば再び行って改めて拓本を採りたくなりました。

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