これが、上部に「樂衟翁壽塔」とある石碑です。江戸末期とはいえ、この時代の石碑でここまではっきりした刻字は滅多に見られませんので、途中で仕事の都合で別れたY氏を見送ってから一人で手拓しながら、顔は嬉しくて笑いが絶えませんでした。四角柱の正面に、ご覧のように掲載した手拓写真でもはっきりと読み取れるので、その喜びが如何程かわかるでしょう!。
そして帰宅し、足利市で発行されたこの種の手持ち図書を広げましたら、例の「日本一お粗末な石造物調査報告書」と、私が公言してはばからない足利市文化財調査報告書第4集「足利の石造物」91頁に銘文も掲載されていました。が、最初の題名からしてそこには「楽街翁専塔」と、「衟=道」を「街」。「壽=寿」を「専」と、意味の判らない文字があり、もうこれだけで笑いが止まりませんでした。中学生でも読めそうな文字が読めなかったのではなく印刷の時に間違い、校正で見落としたと云うのだろうか?。ここまで出鱈目な調査内容に改めて呆れながら勿論、掲載されている銘文内容は見るまでもありせんでした。それにしても、この報告書については発行されたとき、その出鱈目さをそれぞれ指摘した辛らつな手紙を差し上げたにもかかわらず、未だに一通の礼状どころか、言い訳状もない有様。そしていつの間にか、頒布を希望しても皆の目に触れてはヤバイと考えたのか「頒布中止」になっているとのこと。この、足利市教育委員会文化課の職員の資質からして、このような報告書も当然かなと栃木県に住む愚夫愚婦の一人として足利市全体の役人を見下げているところである。
※少ならぬ厭味な文章とは思いつつ、「曰」の文字さえ全て「日」になっているのは、何をか謂わん。であり、これが足利市の教育委員会が監修して発行した報告書?と、ただ笑うのみである。ここまで云うと、お役人を軽蔑した侮辱罪にあたるのかな~。それともお役人に逆らった反逆罪か?。まあ、今回は茲までとして、そのうちにお偉いお役人様に対して失礼な箇所は削除しようと思っている。折角の足利市での楽しい思い出が、この文章で汚されてしまいそうなので‥