今回は、栃木県では滅多に出会えない、窪世祥につぐ江戸石匠の一人である宮亀年刻字の石碑である。県内の彼の作品はその多くが巨碑である。今回の石碑にしても高さが291cm×幅142cmと云う大きさ。加えて、これが建立されている場所が、手拓するには危険すぎる山の斜面にあって、足元下は崖になっているという悪条件。最初に見たときは、もう完全に手拓を諦めたが、今回の相棒である山口氏が「手伝うから採りましょう」ということになって喜び勇んで挑戦。そこで今回は、危険回避と時間節約の為に碑面の掃除は表面の汚れを落としただけで始める。篆額は、彰仁親王。撰文は品川彌二郎。銘文書家は巖谷修の錚々たるメンバーに加えて、石工が宮亀年とあるのだから、思わぬ申し出を断るわけもなく、嬉々として手拓。
その拓本画像が、ここへ掲載(しかも特別サービスで最大限の大きさで)したものである。建立紀年銘は、明治二十九年とあるが、撰文内容はそれほど難しくないのが助かるが、それでもこの撰文は本当に品川彌二郎なのだろうか、と?マークが付く。彼は、こんな高尚な文言を使った文章が書けたのだろうかと思うからである。まあ、それはともかくとして、思いもかけない宮亀年刻字碑が手に入ったことの喜びが何よりも嬉しくて仕方が無い一日だった。山口様が手伝ってくれなければ、とてもではないが手に入らなかった拓本と、居間の天井から吊り下げた拓本を見上げながら感激に浸っているところである。