上記に掲載したのが、昨日掲載した拓本の銘文清書です。調査した内容を提出しますので、ついでに訓読を付け加えました。本当は意訳すれば良いのでしょうが、面倒なので省略です。まあ、全体的な書いてある内容は判ると思うので、これで勘弁してもらいます。(笑)
そしてこの墓碑の建立年代の推定は、撰者の寺門良が慶応四年に亡くなっているところから、南泰先生が亡くなってから7回忌に当たる万延元年ではないかと推定しています。なお、揮毫した「謖山橋本正誠」の経歴が出身地を含め全く判らないこと。誰か御存知でしたら是非に御教示下さい。