今回掲載した石碑に見る銘文だが、改めて石碑に記すべき碑文内容とはどう有るべきかを考えさせられた。今回の場合は、石碑分類としては「公共事業における記念碑」と位置づけたが、其の場合の撰文内容として記さなければならない必須条件とはなんだろうか、と。そもそも、今回のような石碑内容を撰文するには、まずその工事の必要性と地元の切実なる願望がいかほどであったかを記し、次いでその工事内容だろうと思う。と同時に、後世に残す意味からも撰文者の優れた漢文教養が求められると思う。それらを勘案して初めて、その石碑の前に立った人々に感銘を与えられる石碑となるのではないではないだろうか。そうしてこの碑文を見た場合、まずその道路新設の場所が今となっては初めて訪れた人には何処だか判らない。また、名文の出だしにしても、足利の「著名」な人物を挙げているようだが今ひとつで、朝鮮王の文宗が突然出てきたりと、何か文脈が繋がらない等、読んでいても「何で?」という繋がりになっている。そして結語としては、「私の云うことが信じられないなら‥」という、碑文としては思いもかけない言葉で結ばれている。尤も、この銘文の奥深さを理解できない私の方に問題があるといわれてしまうとそれまでだが、私の期待した銘文内容以上に大きな石碑なので、今回ばかりは手拓する気分をなくして手写だけで終わらせてしまった。
なお、同地にある別の石碑は、前回にここへ掲載した「開鑿新渠碑」である。その二基の石碑に見る撰文内容の違いを読み比べると、その違いが歴然とするだろう。