2006年12月ぶりに、栃木市の高谷町万福寺前にある「大旱魃紀念」碑を見てきました。前回は石仏調査が主だったので、銘文は調査したものの拓本を採っていなかったのでその採択のためです。これは、掲載画像銘文にもあるように昭和15年(1940)の当地の旱魃について述べられたものです。当地区の旱魃被害については、あまり見かけない資料なのでその意味では貴重なものでしょう。と云いながら、墨入れを終えてからその画像を写真にとることは滅多にないため、この写真を撮り終えたら気分良くなり、全景写真も撮影したつもりになってしまい、帰宅してから写真を見たら全景写真が無いことに気づくというトンマなことをしてしまった。これも、もう一度当地へ来い。という思し召しかと諦めて、昔に撮ったはずの写真を探し出すことにしましょう。そうそう、この碑の建立紀念は碑陰にあり、そこには「皇紀2千六百年五月建立」とある。これって、おかしな話です。災害にあった時と同じではないか、と。従って、実際にこの碑が建立されたのは、早くても昭和15年五月以降の旱魃から逃れた後ででなければならない筈です。
それにしても、昨日はまさに「春遠からじ」といった陽気で、暖かく穏やかな天候でした。手拓が終わってからは、私の大好きな?、栃木市内の寺院巡りをしましたが相変わらず思うような成果が上がらず、剛を切らして大平町地区へ、これまた暫くぶりに入りました。そして長年の願望だった「瀧山西谷墓表」を調査&手拓することが出来ました。今回はこの2基だけの調査で、まあ栃木市地区の成果としては上々と気分良く帰路に着くことが出来ました。そして今週から2月に入ります。2月は、私にとっては意外と調査成果の上がる月なので、「よし、今年もがんばるぞ」と、年甲斐も無く張り切っています。尤も、その前に佐野市田沼地区の最後まで残った未調査2基を仕上げねばと思っているところですが‥。
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昨日は、相性の良い栃木地区でしたか…(笑)。
再撮が必要とは、やはりまたお越しくださいと密かに誘われているのかもしれませんね。
さて、私も昨日は烏山へ出陣しました。
当初予定は六社だったのですが、七社廻っても、まだ2時前だったので、本日最後の調査ということで、興野の日枝神社に行ってきました。
結論からお話すると、山頂には狛犬不在で、神社奉納的な石造物しかありませんでした。安永八年の手水石だけで、残りは大正以降のものです。片道20分余の山道なので、割と大変です。私が代表して参拝してまいりましたので、瀧澤様は無理して足を運ばなくても大丈夫かと思います…(笑)。
文章整いませんが、失礼します。