一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『山口瞳 男の作法 面白可笑しく』 ……心に沁みる一行、心に長く残る一行……

2022年07月11日 | 読書・音楽・美術・その他芸術

本を読んで、
その感想を書く……
それが案外難しい。
内容が多岐にわたっている場合が多く、
考える時間も多く取られ、
書くのにも時間がかかる。
だから、ブックレビューはどうしても敬遠しがちになる。
このブログでも、登山のレポや、映画レビューに比べ、かなり少ない。

山口瞳の長男・山口正介が編んだ『山口瞳 男の作法 面白可笑しく』という本を、
最近、図書館から借りてきて読んだ。


「週刊新潮」に、昭和38年から31年9ヶ月、1614回連載したエッセイ『男性自身』シリーズの中から、人生の処方箋、生き方の指南書となる言葉を集めたものだ。
その中に、
「心に沁みる一行、心に長く残る一行」
と題する文章があった。

……不意に、小説というのはこういうものだという思いが去来する。心に沁みる一行があればいいんだな。いつ読んだのか、前後がどうなっているのか、題名は何だったのか、すっかり忘れてしまっている。そんなことはどうでもいいのであって、大事なのは心に長く残る一行があるのかないのか、それだけだ。(186頁)

この文章に倣えば、
(小説に限らず)本を読んで、
「心に沁みる一行、心に長く残る一行」があったならば、
なぜその一行が心に沁みたのか、心に残ったのか、
その理由を記すだけでいいのではないか……と考えた。
いや、一行でなくてもいいし、
ひとかたまりの文章でもいい。
そう考えると、ブックレビューを書くのが随分と気が楽になった。

『山口瞳 男の作法 面白可笑しく』という本では、
「人間の一生ってこういうものだったのか」
と題する文章が心に残った。

私は平均寿命ぐらいは生きたいなと思っていた。私は六十八歳で、十一月になると六十九歳になる。平均寿命は男七十六歳、女八十二歳だが、それくらいまでは生きられると思っていた。父は七十歳で死亡したが、若いときからの重症の糖尿病であったので、父よりは長く生きられるはずだとも思っていた。
私は新聞の死亡記事を読むようにしている。
二十年ぐらい前までは死亡年齢七十歳とあると、これはメデタイほうの亡くなり方だなと思ってあとは読まなかった。もし四十代五十代であったりすると、気の毒にまあ、いやいや辛いなあと思ったものである。それが五年ぐらい前から、七十歳はまだ若いと思うようになってきた。七十歳の死は辛い。
今年の五月二十八日は私ども夫婦の四十六回目の結婚記念日だった。あと四年で金婚式である。
貧しい結婚式だったので金婚式は柳橋の亀清桜で志ん朝さんに来てもらってなんて甘いことを考えていた。白状すると、吉行淳之介さんのように二十一世紀もちょいと覗いてみたいとか、このぶんなら八十歳まで生きられるかもしれないと考えたこともあった。しかし、大正十五年生まれの六十八歳という年齢は、いつ何があっても少しも不思議ではないことに気づかされた。何だか、人間の一生ってこういうものだったのかと教えられたような気もしている。
(158~159頁)


「私は六十八歳で、十一月になると六十九歳になる」とあるので、
このエッセイが書かれたのは、1994年ということが判る。
1994年7月26日に吉行淳之介が亡くなっているので、(享年70歳)
その後に(吉行淳之介の死を念頭に置いて)書かれた文章だと思われる。
「七十歳はまだ若いと思うようになってきた。七十歳の死は辛い」
と書き、
自分自身を振り返り、
「大正十五年生まれの六十八歳という年齢は、いつ何があっても少しも不思議ではないことに気づかされた。何だか、人間の一生ってこういうものだったのかと教えられたような気もしている」
と書いている。


なぜこの文章が私の心に残ったかと言えば、
山口瞳は、この文章を書いた1年後の、1995年8月30日に亡くなっているのだ。
享年69歳。
山口瞳は、70歳まで生きられなかったのである。
そして21世紀を覗いてみることも叶わなかったのだ。

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