
現在、日本に、
「真珠の首飾りの少女」
「真珠の耳飾りの少女」
の二人の少女が来日している。
どちらも私の大好きなフェルメールの絵であるが、
「真珠の首飾りの少女」の方は、
九州国立博物館で開催されているベルリン国立美術館展(2012.10.9~2012.12.2)で鑑賞することができた。
そのことをこのブログに書いたとき、
私は次のような言葉で締めくくっている。
大満足のフェルメール「真珠の首飾りの少女」inベルリン国立美術館展であった。
神戸で開催されているマウリッツハイス美術館展にも行ってみたいなと思った。
「真珠の耳飾りの少女」にも逢いたいなと思った。
国内にいて、フェルメールの絵と出逢える機会はそう多くない。
どうにかして時間を作って、また旅に出よう。
あれから約1ヶ月が経ち、
「真珠の耳飾りの少女」に逢いたいという気持ちが一層強くなり、
神戸市立博物館で開催されているマウリッツハイス美術館展(2012.9.29~2013.1.6)に行くことにした。
佐賀から神戸へだったら十分に日帰りも可能だが、
せっかく遠出するのだったら、ついでに山にも登りたいと思った。
私の場合、普通、日曜日と木曜日を公休日にしているが、
11月4日(日)と11月8日(木)の公休日を勤務日とし、
11月6日(火)と11月7火(水)の勤務日を公休日に変更した。
こうして連休を作り出し、
11月6日(火)にマウリッツハイス美術館展で「真珠の耳飾りの少女」を鑑賞、
11月7火(水)に山登りをすることに決めた。
山登りに関しては、当初、六甲山にでも登ろうかと気軽に考えていたが、
計画を練っているうちに、
〈どうせなら六甲全山縦走をしてみようか……〉(爆)
と考えるようになった。
新田次郎の小説『孤高の人』のモデルとなった伝説の単独行者・加藤文太郎が、
若き日に行ったといわれる、
須磨から宝塚までの、
全行程56km、
総高低差3000mオーバーの六甲全山縦走。
できるかどうか分からないけれど、チャレンジしてみたいと思った。
そうして、次のように計画した。
11月5日(月)仕事が終了後、高速夜行バスにて三宮へ。
11月6日(火)マウリッツハイス美術館展で「真珠の耳飾りの少女」を鑑賞。
夜は野宿。
11月7日(水)海抜0m(須磨海岸)からの六甲全山縦走。(オイオイ)
縦走終了後、高速夜行バスにて佐賀へ。
11月8日(木)早朝佐賀に到着後、そのまま会社へ。
関西へは、鉄道を利用するよりも、高速夜行バスを使う方が、格安で行くことができる。
時間も目一杯遣えるので、今回は高速夜行バスを利用することにした。
11月5日(月)
22:00 金立SAより関西方面行きの高速夜行バスに乗る。

11月6日(火)
6:30 三宮駅前に到着。
駅前には、マウリッツハイス美術館展を知らせる「真珠の耳飾りの少女」の看板が……
いよいよ逢えるな~と、興奮する。

神戸市立博物館は、三宮駅から近いので、下見(笑)に行ってみる。
博物館へ向かうフラワーロード沿いには、
「真珠の耳飾りの少女」をあしらったマウリッツハイス美術館展の垂れ幕が……

神戸市立博物館はすごく立派な建物であった。

建物の正面に、マウリッツハイス美術館展の目玉ともいえる巨大な3つの名画があった。

ヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」と、

フランス・ハルスの「笑う少年」と、

レンブラント・ファン・レインの「自画像」。

期待に胸をふくらませつつ三宮駅へ戻り、
マクドナルドで朝食を摂り、しばし読書。
9:10 神戸市立博物館に到着。
もうすでに人が並んでいた。

9:30 神戸市立博物館の開館と同時に入館。

展覧会会場は、
第1章「美術館の歴史」
第2章「風景画」
第3章「歴史画」
第4章「肖像画と『トローニー』」
第5章「静物画」
第6章「風俗画」
に分類し、展示されていた。
順路に沿ってゆっくり歩いて行く。
第3章「歴史画」の所で、
フェルメールの「ディアナとニンフたち」に出逢う。

今回のマウリッツハイス美術館展には、
フェルメールの絵が2点公開されていて、
「真珠の耳飾りの少女」と、もう1点が、この「ディアナとニンフたち」。
マウリッツハイス美術館が本作品を収蔵したのは1876年。
但し、このときはニコラース・マースの作品としてであった。
その後、偽の署名の下に「JVMeer」の署名が見つかり、
1901年、当時の館長プレディウスがフェルメール作と認定。
以後、真作とするか否か、研究者の間でも意見が分かれている問題の一作。
初期の作品なので、フェルメールの顕著な特徴がなく、印象はやや薄かった。
第4章「肖像画と『トローニー』」へ移動すると、
まず目にするのが、「真珠の耳飾りの少女」。

トローニーとは、オランダ語で「頭部の習作」の意。
特定の人物の似姿ではなく、
匿名あるいは架空の人物の表情・性格のタイプを表すことを意図した絵画作品。
「真珠の耳飾りの少女」もそのトローニーとされているが、
それに異を唱え、小説『真珠の耳飾りの少女』において、
〈フェルメールの家に雇われていた貧しいメイドだったのではないか……〉
と仮設を提出したのが、トレイシー・シュヴァリエ。
この小説は、ピーター・ウェーバー監督作品として映画化されたが、
そのとき、“少女”を演じたのが、スカーレット・ヨハンソン。

薄い眉と、細い鼻筋。
艶やかに濡れた唇。
スカーレット・ヨハンソンが演じた“少女”の影響もあってか、
“少女”はより一層リアリティを増し、
〈「真珠の耳飾りの少女」は単なるトローニーではないのではないか……〉
と、鑑賞者の心にロマンをかきたてた。

以前は「青いターバンの少女」と呼ばれることの多かったこの作品が、
「真珠の耳飾りの少女」と表記されるようになったのは、
映画『真珠の耳飾りの少女』の影響がかなりあったと思われる。
私は、今回、「真珠の耳飾りの少女」の絵の前に、1時間以上は居たと思う。(爆)
まさにくぎ付け状態。
よく写真などでみられるものより、色彩は薄い感じ。

だが、じっと見ていると、不思議なことに、
色が艶を帯び、色が濃くなってくるような印象を持った。
いつまで眺めていても飽くことのない、
ずっと見続けていたいと思わせる作品であった。
神戸まで来た甲斐があったと思った。
第4章「肖像画と『トローニー』」の部屋には、この他、
学生時代に美術の教科書でよく見た、
フランス・ハルスの「笑う少年」や、

レンブラント・ファン・レインの「自画像」などがあったが、

私の目を惹いたのは、
アンソニー・ヴァン・ダイク「アンナ・ウェイクの肖像」。

この絵は、対となる「ペーテル・ステーフェンスの肖像」という作品があって、

今回の美術展でも、2作品が同時展示されていたが、
「アンナ・ウェイクの肖像」が左で、
「ペーテル・ステーフェンスの肖像」が右に展示されていた。
描かれている二人は夫婦なので、
伝統的な慣習からすれば、左右逆なのだそうだ。
夫人の肖像画が夫の向って左側に来ることは極めて異例で、
先にステーフェンスの肖像を描いたので、
夫人をこのよう(な向き)に描かざるをえなかったと解説してあったが、
〈ほんまかいな?〉
と思った。
どう見ても左の「アンナ・ウェイクの肖像」が立派だし、
右(向かって左)が高位なのだから、
(何らかの理由で)最初から意図して描かれたのでないかと思った。
第6章「風俗画」のコーナーでは、
これも有名な「牡蠣を食べる娘」に目がいった。
横14.5cm、縦20.5cmの小さな絵で(実物は下の写真を少し大きくしたくらい)、
細密に描かれていて驚いた。

若い娘が手に取りその口へ運ぼうとしている牡蠣は、
本作が描かれた17世紀当時、
精力剤(媚薬)として人々に広く好まれた食材で、
それを知る者は、娘の魅惑的な表情に、
否が応にも観る者にエロティックな連想を抱かせる。
娘から向けられる艶めかしく挑発的な視線が非常に印象的な一作であった。
館内を順路に沿って二巡し、(笑)
出口へ向かった。
「特設ショップ」コーナーは、人で溢れていた。

やはり人気は、「真珠の耳飾りの少女」のものであった。

今回のマウリッツハイス美術館展も大満足であった。
〈来て良かった~〉
と思った。
マウリッツハイス美術館が改修工事に入った為、
同美術館の顔ともいうべき多くの作品展示が実現しているマウリッツハイス美術館展。
あなたも、ぜひぜひ。
美術鑑賞を終え、午後は、六甲全山縦走の出発地点の下見に行った。
翌11月7日(水)の「海抜0mからの六甲全山縦走」(←クリック)は果たして成ったのか……
大波乱(笑)の次回(ブログ更新)を待て!
「真珠の首飾りの少女」
「真珠の耳飾りの少女」
の二人の少女が来日している。
どちらも私の大好きなフェルメールの絵であるが、
「真珠の首飾りの少女」の方は、
九州国立博物館で開催されているベルリン国立美術館展(2012.10.9~2012.12.2)で鑑賞することができた。
そのことをこのブログに書いたとき、
私は次のような言葉で締めくくっている。
大満足のフェルメール「真珠の首飾りの少女」inベルリン国立美術館展であった。
神戸で開催されているマウリッツハイス美術館展にも行ってみたいなと思った。
「真珠の耳飾りの少女」にも逢いたいなと思った。
国内にいて、フェルメールの絵と出逢える機会はそう多くない。
どうにかして時間を作って、また旅に出よう。
あれから約1ヶ月が経ち、
「真珠の耳飾りの少女」に逢いたいという気持ちが一層強くなり、
神戸市立博物館で開催されているマウリッツハイス美術館展(2012.9.29~2013.1.6)に行くことにした。
佐賀から神戸へだったら十分に日帰りも可能だが、
せっかく遠出するのだったら、ついでに山にも登りたいと思った。
私の場合、普通、日曜日と木曜日を公休日にしているが、
11月4日(日)と11月8日(木)の公休日を勤務日とし、
11月6日(火)と11月7火(水)の勤務日を公休日に変更した。
こうして連休を作り出し、
11月6日(火)にマウリッツハイス美術館展で「真珠の耳飾りの少女」を鑑賞、
11月7火(水)に山登りをすることに決めた。
山登りに関しては、当初、六甲山にでも登ろうかと気軽に考えていたが、
計画を練っているうちに、
〈どうせなら六甲全山縦走をしてみようか……〉(爆)
と考えるようになった。
新田次郎の小説『孤高の人』のモデルとなった伝説の単独行者・加藤文太郎が、
若き日に行ったといわれる、
須磨から宝塚までの、
全行程56km、
総高低差3000mオーバーの六甲全山縦走。
できるかどうか分からないけれど、チャレンジしてみたいと思った。
そうして、次のように計画した。
11月5日(月)仕事が終了後、高速夜行バスにて三宮へ。
11月6日(火)マウリッツハイス美術館展で「真珠の耳飾りの少女」を鑑賞。
夜は野宿。
11月7日(水)海抜0m(須磨海岸)からの六甲全山縦走。(オイオイ)
縦走終了後、高速夜行バスにて佐賀へ。
11月8日(木)早朝佐賀に到着後、そのまま会社へ。
関西へは、鉄道を利用するよりも、高速夜行バスを使う方が、格安で行くことができる。
時間も目一杯遣えるので、今回は高速夜行バスを利用することにした。
11月5日(月)
22:00 金立SAより関西方面行きの高速夜行バスに乗る。

11月6日(火)
6:30 三宮駅前に到着。
駅前には、マウリッツハイス美術館展を知らせる「真珠の耳飾りの少女」の看板が……
いよいよ逢えるな~と、興奮する。

神戸市立博物館は、三宮駅から近いので、下見(笑)に行ってみる。
博物館へ向かうフラワーロード沿いには、
「真珠の耳飾りの少女」をあしらったマウリッツハイス美術館展の垂れ幕が……

神戸市立博物館はすごく立派な建物であった。

建物の正面に、マウリッツハイス美術館展の目玉ともいえる巨大な3つの名画があった。

ヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」と、

フランス・ハルスの「笑う少年」と、

レンブラント・ファン・レインの「自画像」。

期待に胸をふくらませつつ三宮駅へ戻り、
マクドナルドで朝食を摂り、しばし読書。
9:10 神戸市立博物館に到着。
もうすでに人が並んでいた。

9:30 神戸市立博物館の開館と同時に入館。

展覧会会場は、
第1章「美術館の歴史」
第2章「風景画」
第3章「歴史画」
第4章「肖像画と『トローニー』」
第5章「静物画」
第6章「風俗画」
に分類し、展示されていた。
順路に沿ってゆっくり歩いて行く。
第3章「歴史画」の所で、
フェルメールの「ディアナとニンフたち」に出逢う。

今回のマウリッツハイス美術館展には、
フェルメールの絵が2点公開されていて、
「真珠の耳飾りの少女」と、もう1点が、この「ディアナとニンフたち」。
マウリッツハイス美術館が本作品を収蔵したのは1876年。
但し、このときはニコラース・マースの作品としてであった。
その後、偽の署名の下に「JVMeer」の署名が見つかり、
1901年、当時の館長プレディウスがフェルメール作と認定。
以後、真作とするか否か、研究者の間でも意見が分かれている問題の一作。
初期の作品なので、フェルメールの顕著な特徴がなく、印象はやや薄かった。
第4章「肖像画と『トローニー』」へ移動すると、
まず目にするのが、「真珠の耳飾りの少女」。

トローニーとは、オランダ語で「頭部の習作」の意。
特定の人物の似姿ではなく、
匿名あるいは架空の人物の表情・性格のタイプを表すことを意図した絵画作品。
「真珠の耳飾りの少女」もそのトローニーとされているが、
それに異を唱え、小説『真珠の耳飾りの少女』において、
〈フェルメールの家に雇われていた貧しいメイドだったのではないか……〉
と仮設を提出したのが、トレイシー・シュヴァリエ。
この小説は、ピーター・ウェーバー監督作品として映画化されたが、
そのとき、“少女”を演じたのが、スカーレット・ヨハンソン。

薄い眉と、細い鼻筋。
艶やかに濡れた唇。
スカーレット・ヨハンソンが演じた“少女”の影響もあってか、
“少女”はより一層リアリティを増し、
〈「真珠の耳飾りの少女」は単なるトローニーではないのではないか……〉
と、鑑賞者の心にロマンをかきたてた。

以前は「青いターバンの少女」と呼ばれることの多かったこの作品が、
「真珠の耳飾りの少女」と表記されるようになったのは、
映画『真珠の耳飾りの少女』の影響がかなりあったと思われる。
私は、今回、「真珠の耳飾りの少女」の絵の前に、1時間以上は居たと思う。(爆)
まさにくぎ付け状態。
よく写真などでみられるものより、色彩は薄い感じ。

だが、じっと見ていると、不思議なことに、
色が艶を帯び、色が濃くなってくるような印象を持った。
いつまで眺めていても飽くことのない、
ずっと見続けていたいと思わせる作品であった。
神戸まで来た甲斐があったと思った。
第4章「肖像画と『トローニー』」の部屋には、この他、
学生時代に美術の教科書でよく見た、
フランス・ハルスの「笑う少年」や、

レンブラント・ファン・レインの「自画像」などがあったが、

私の目を惹いたのは、
アンソニー・ヴァン・ダイク「アンナ・ウェイクの肖像」。

この絵は、対となる「ペーテル・ステーフェンスの肖像」という作品があって、

今回の美術展でも、2作品が同時展示されていたが、
「アンナ・ウェイクの肖像」が左で、
「ペーテル・ステーフェンスの肖像」が右に展示されていた。
描かれている二人は夫婦なので、
伝統的な慣習からすれば、左右逆なのだそうだ。
夫人の肖像画が夫の向って左側に来ることは極めて異例で、
先にステーフェンスの肖像を描いたので、
夫人をこのよう(な向き)に描かざるをえなかったと解説してあったが、
〈ほんまかいな?〉
と思った。
どう見ても左の「アンナ・ウェイクの肖像」が立派だし、
右(向かって左)が高位なのだから、
(何らかの理由で)最初から意図して描かれたのでないかと思った。
第6章「風俗画」のコーナーでは、
これも有名な「牡蠣を食べる娘」に目がいった。
横14.5cm、縦20.5cmの小さな絵で(実物は下の写真を少し大きくしたくらい)、
細密に描かれていて驚いた。

若い娘が手に取りその口へ運ぼうとしている牡蠣は、
本作が描かれた17世紀当時、
精力剤(媚薬)として人々に広く好まれた食材で、
それを知る者は、娘の魅惑的な表情に、
否が応にも観る者にエロティックな連想を抱かせる。
娘から向けられる艶めかしく挑発的な視線が非常に印象的な一作であった。
館内を順路に沿って二巡し、(笑)
出口へ向かった。
「特設ショップ」コーナーは、人で溢れていた。

やはり人気は、「真珠の耳飾りの少女」のものであった。

今回のマウリッツハイス美術館展も大満足であった。
〈来て良かった~〉
と思った。
マウリッツハイス美術館が改修工事に入った為、
同美術館の顔ともいうべき多くの作品展示が実現しているマウリッツハイス美術館展。
あなたも、ぜひぜひ。
美術鑑賞を終え、午後は、六甲全山縦走の出発地点の下見に行った。
翌11月7日(水)の「海抜0mからの六甲全山縦走」(←クリック)は果たして成ったのか……
大波乱(笑)の次回(ブログ更新)を待て!
