世には「山の名著」と呼ばれているものがあって、
山ヤさんの間ではけっこう読まれていたりもするのだが、
一般的な登山愛好家で、読む人は案外少ないのではないかと考える。
例えば、
『山岳名著読書ノート 山の世界を広げる名著60冊』 (ヤマケイ新書)という本があるが、
この中に挙げられている60冊の「山の名著」の内、
〈読みたい!〉
と思える本が一体何冊あるだろうか?
深田久弥『日本百名山』や、
植村直己『青春を山に賭けて』や、
田部井淳子『エベレスト・ママさん̶山登り半生記』
くらいは読んだことがあっても、
その他の本は、読むことを躊躇するのではないだろうか?
専門的な登山用語が頻発するレポやドキュメントであったり、
聞いたこともないような山のゴリゴリの登攀記であったりと、(そんな本ばかりではないが)
一般的な登山愛好家にとっては難しかったり、興味そのものがなかったりする。
このような古典と呼ばれる「山の名著」の一群の存在は認めつつも、
一般的な登山愛好家にとっての「山の名著」も別に存在するのではないかと考えた。
それをこれから折に触れて紹介していければと思っている。
今日は、その第1回目。
紹介する本は、市毛良枝さんの『山なんて嫌いだった』(1999年、山と溪谷社刊)。
有名な本なので、もうすでに読まれた方も多いことと思う。
市毛良枝さんが、山と出会い、心惹かれてゆく過程を綴った書き下ろしエッセイで、
大の運動嫌いだった彼女が、山に登ることによって大きく変わってゆく様子が、
飾りのない文章で描かれている。
私は刊行された頃に、図書館から借りて読んだのだが、
市毛良枝さんの山に対する驚き、発見、喜びなどが、素直な筆致で描かれており、
私も徒歩日本縦断を終え、山歩きを始めた頃だったので、
新鮮であったし、共感したし、感動しつつ何度も読んだ。
何度も何度も借りて、何度も繰り返し読んだ。(笑)
あまりにこの本を好きになったので、手元に置いておきたくて、
とうとう(サイン入りの)単行本まで手に入れた。(コラコラ)
その後も、機会があれば読んでいるし、読みつづけている。
25年ほど前の本なので、私の中ではすでに古典になっている。
【市毛良枝】
俳優。1950年9月6日生まれ。静岡県出身。
文学座附属演劇研究所、俳優小劇場養成所を経て、1971年にドラマ『冬の華』でデビュー。
以後、テレビ、映画、舞台、講演と幅広く活躍。
40歳から始めた登山を趣味とし、
93年にはキリマンジャロ、後にヒマラヤの山々にも登っている。
環境問題にも関心を持ち、98年に環境庁(現・環境省)の環境カウンセラーに登録。
また特定非営利活動法人日本トレッキング協会の理事を務めている。
【目次】
1 初めての山
(運動嫌いの私が/ エベレスト・ママさん/ 登山姿お披露目/ 「なにが哀しくてキリマン?」/ 百年の時空の旅)
2 山に夢中
(日本の山も甘くない/ ある冒険家との出会い/ 人生最大のピンチ/ 八甲田と安達太良山)
3 遊びの名人
(アウトドア留学/ 遊びの舞台は南の島/ 山菜料理の達人/ クロカンに凝ってます)
4 自分探しの山旅
(舜ちゃんデビュー/ 八ヶ岳で叱られて/ 静かな北ア山行/ 九重のピーク三昧/ 槍ヶ岳に登った!)
5 女優と「私」
(母も山登り/ 地味な女優/ 自分という“おもちゃ”/ 天城、原風景の旅)
市毛良枝さんは、そもそもどういうキッカケで山を始めたのか?
それは、第1章の「初めての山」の“運動嫌いの私が”の項に書いてある。
市毛良枝さんの父親が1988年12月に亡くなり、
父の最期を看取ってくれた病院の先生のところへ、1990年9月にお礼に言いに行き、
入院中の話などに花が咲いたときに、先生の趣味である登山のことも話題に出た。
「先生、今度看護婦さんたちと山に行かれるときには私も連れていってください」
本当に行きたかったのか、社交辞令で言ったのか、今となってよく分からないが、
先生がすぐに手帳を出して、
「9月に二回連休があるけど、あなたはどちらがおひまかな?」
と訊かれたときには、もううわべだけの返事ではすましていけないような気になっていた。
こうして1990年9月21日、夜行列車に乗って大糸線穂高駅に降り立ち、バスに乗り換えて、登山口がある中房温泉に着く。
今回は、燕岳に登り、常念岳へ縦走し、一ノ沢へ下山するスケジュール。
山のことは何も知らなかった市毛さんは、登り始めてすぐに後悔する。
ゼーゼー、ハーハーしながら、もういい加減疲れたなと思って時計を見ると、まだ30分も経っていない。
ああ、もうダメと思う頃、やっと休憩。
第一ベンチ、第二ベンチと、辛かった登りも、
アメだったり、水だったり、吹き抜けていく風だったり、岩の割れ目の高山植物だったり、
それらに慰められ、次第に疲れを忘れていく。
燕山荘に着き、あとのグループがまだ着いていないことに気づき、迎えに行く。
疲れている人のザックを持ってあげて登り返す。
他人の迷惑にだけはならないようにと思っていた市毛さんは、
思いがけなく人を助けていたことに気づく。
いきなり、なんともいえない喜びが、心の奥底からわき上がってきた。
ブロッケン現象を目にしたときには、通りかかったガイドさんから、
「おねえちゃん、運がいいねぇ。おじさんも何年も登っているけど、二、三回しか見たことがないよ」
と声をかけられた。
〈うん? おねえちゃん……、ウーン、まっ、いいか!〉
こういう見知らぬ者同士が普通に話ができる雰囲気も嬉しかった。
見知らぬ人と隣り合わせで寝ること、
ヘッドランプをつけてトイレに行くこと、
コップ一杯の水で歯磨きと洗顔、
御来光と、雲海と、大展望。
市毛さんにとって、なにもかもが初めての経験で、驚きであり、新鮮な体験であった。
まるで夢のような数日だった。
山に惹かれたのはなぜか? という答えはまだみつからなかったが、小さな幸せをたくさん抱えて、爽やかな気持ちで帰途についた。(21頁)
山の楽しさに目覚めてしまった市毛さんは、
北八ヶ岳、南アルプス塩見岳、八甲田山、安達太良山、双六岳、槍ヶ岳、くじゅう連山、天城山、キリマンジャロ……と、山にのめり込んでいく。
その間に、
エベレスト・ママさんの田部井淳子との出会いがあり、TVドラマで田部井さんを演じ、
冒険家の九里徳泰、美砂夫妻と出会いもあり、様々な冒険的な登山にも挑戦するようになる。
登山を始めたのがキッカケで、
山、スキー、水泳、ボート、カヤック、ダイビング、釣りと、
様々なスポーツをするようになり、運動音痴だったはずの市毛さんは、
体格も変わり、体力にも自信が持てるようになっていく。
そして、ニュージーランドへアウトドア留学までしてしまうのである。
五カ月の滞在の最大の収穫は、なによりもシンプルに暮らし、質素で堅実な彼らの暮らしを見せてもらったことである。この金満国家の日本に暮らしていても、彼らのようにシンプルに暮らせるかもしれない。この暮らしぶりを手本にしていきたいと思った。
それにしても、大人になってからする勉強っていいものだと、心から言える経験をした。夢は限りなく追い続けよう。いくつになっても、もう遅いなんてことは絶対ない!(121~122頁)
この本には、山を始めて(1990年~)10年間の山旅はもちろんのこと、
『山と溪谷』取材の裏話や、
登山家たちとの交友、
エコロジー問題、
そして自身の内面変化なども書かれており、どれもがとても興味深く、面白い。
そして、(結果的にだが)名言を幾つも残している。
見上げると、おそらく今まで見たうちでも一番たくさんの、こぼれそうに大きな星が夜空にまたたいていた。この地球という星にたったひとり、私だけが存在しているような錯覚にとらわれた。
まるで谷内六郎さんが描く少女のように、私と星だけの世界。このうえもなく孤独なのに、ちっとも淋しくなく、真っ暗なのに怖くもなかった。まるで星に包み込まれているようで、とても幸せだった。(61頁)
人生って、ある程度生きていると、だいたいこんな感じで一生いってしまうんじゃないか、いわゆる先が見えてきたという感じになるのだろうと、ちょっと前までは思っていた。私も立派にそんな年代になっているのだが、困ったことにこのごろ先がまったく見えなくなってしまった。
この先、自分がどんな人間になってしまうのか、どんなことをやってしまうのかも分からなくなってしまった。
山なんてものに出会ってしまったおかげなのだ。(81頁)
……そして山に行っていれば、時折見知らぬ人に指差されることはあっても、いつでも、ただの人でいられた。
山は、自分の力で一歩踏み出さなければ、誰も登らせてくれない。どんな人も対等に、やったことが、やっただけ自分にかえってくる。そして山の仲間たちが、ひとりの人間として当たり前に接してくれたことで、私は芸能人といわれる特殊な人ではなく、普通のひとりの人間であっていいのだと思えるようになった。(97頁)
仕事は人生のすべてではなく、生きることが人生の主役なのだ。人生には仕事より大事なことがあると思った。
そして逆説のようだが、私には山を含む自然という別の世界があるから、そこで自分らしい自分を取り戻せるから、女優という仕事を続けていけるのかもしれないと、少しずつ思えるようになった。(98頁)
一年の三六〇日も休みなく、お金を遣う暇もないほど働いていた時期があった。なんだか自分が無性に可哀想になって、自分自身をほめてやるつもりで宝石を買ってみた。よほど淋しかったのか、そんなことが数年続いた。その熱がおさまったとき、前より、もっと淋しい感じになった。
ものでは幸せになれなかったのだ。
山に行けば宝石なんてなんの価値もない。季節ごとに彩りを変える草木、風雪に耐えて可憐に咲く花々……それらのほうがはるかに美しい。(224頁)
そして、「あとがき」には、こう記している。
一〇年前に山に登っていなかったら、女優を辞めていたかもしれない。いっけん何の関係もないような山と女優だが、幸か不幸か密接に結びついてしまった。
少なくとも山に登らずに、今、この歳を迎えていたら、本当につまらない人生だっただろうとゾッとする。それほど自分の生活や考え方に多大な影響を与えられた。特に山でなくてもいいけれど、自然の中に秘められた、なにか計りしれないものに対する、畏敬の念をもって生きてもいいのではないかと思っている。不必要に自分を大きく見せることなく、小さく小さく生きていきたい。それには山は本当にいい基準になってくれる。山に行って虚勢を張っても始まらないし、徹底的に自分の小ささを教えてくれる。そして辛いことを乗り越えたとき、なかなかやるじゃないかとほめてもくれる。(242頁)
この言葉には、私も全面的に賛同する。
私にも山があって良かった。
心底そう思えるのだ。
本書を読むと、山に出会った頃のことが思い出されるし、
そのときの新鮮な気持ちが呼び起こされる。
初心に帰りたくなった時に(何度でも)読みたくなる一冊である。