一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『富士山・村山古道を歩く』(畠掘操八)…海抜0mから登るキッカケとなった書…

2025年01月14日 | 読書


古典と呼ばれる「山の名著」ではなく、
一般的な登山愛好家にとっての「山の名著」を紹介するブックレビューの5回目は、
畠掘操八著『富士山・村山古道を歩く』(2006年、風濤社刊)。


私が、かつて、「麓から登ろう!」シリーズの延長として、
「海抜0メートルから登る」シリーズをやっていたとき、
「海抜0メートルから登ったのは私が先だ」
と言ってくる人がいて、ほとほと困った。(笑)
自分がやったのならまだしも、友人・知人がやったことを披露し、
「上には上がいるもんですよ」
と捨て台詞を吐く人までいて、(爆)
驚いたし、困惑した。
そんなことを言ってくる人がいるとは夢にも思わなかったからだ。

車社会になる前は、誰もが麓から登っていたワケだし、
富士山だって、江戸時代は、田子の浦まで舟で来て、
誰もが海抜0メートルから登っていたからだ。
少なくとも、
「海抜0メートルから登ったのは私が先だ」
と言う人が先ではないのは確かなのだ。(笑)
かく言う私だって、60数年前の子供の頃は佐世保の海から山に登っていたし、
30年前には日本列島3300kmで「ZERO TO ZERO」をやっているし、
そんなことを言われる筋合いはないのだ。(爆)

そもそも私は、
「海抜0メートルから登ることをやったのは私が初めての人間だ」
と言ったこともないし、
もし、そんなことを言う人がいたらバカだと思っていた。
「海抜0メートルから登ったのは私が先だ」
と言ってくる人は、大抵、自称「山ヤ」、自称「山バカ」と名乗る人たちで、
やたらとマウントを取りたがる似非(えせ)登山家が多かった。

私が「海抜0メートルから登る」シリーズのレポを書くときは、
富士山ならば、『富士山・村山古道を歩く』(畠掘操八)、
白馬岳ならば、『栂海新道を拓く 夢の縦走路にかけた青春』(小野健)、
というように、登山道を開拓して下さった人たちの本を紹介し、
先人への感謝を忘れず記していた。
そういった先人たちが登山道を切り拓いて下さったからこその登山道なので、
その道を歩いた人々は私の前にたくさんいるのは当たり前のことであるし、
私は感謝しながら歩いている。
もし、私のレポをちゃんと読んでいる人ならば、
「海抜0メートルから登ったのは私が先だ」
なんて言葉は出ない筈なのだ。

前置きが長くなったが、今回は、
私が「海抜0メートルから登る富士山」をすることになったキッカケの本、
『富士山・村山古道を歩く』(畠掘操八)を紹介することにしよう。
この本なくして、私の「海抜0メートルから登る富士山」は叶わなかったのだから。


正直、それまで(本を読むまで)、個人的には富士山にはまったく興味がなかった。
毎年30万人以上の人々が訪れるという国民的人気の山。
TVに映し出される長い行列を見るたびに、
〈あんなに人で混雑している山に行って何が面白いんだろう〉
と思っていた。
だから、当然登ったことはなかったし、
これからも登るつもりはなかった。

その考えに変化が生じたのは、
畠掘操八著『富士山・村山古道を歩く』(2006年、風濤社刊)
という本を、図書館で借りて読んだことに由る。


村山古道とは、約1000年前(平安末期)に開かれた富士山最古の登山道で、
以来、900年ほどのあいだ利用されていたが、
1906年(明治39年)に大宮新道が切り開かれて、
村山古道の四合目(新六合目)で合流することになって以来、
約100年のあいだ廃道になったままだったという。

そのことを新聞記事で知った著者は、
村山古道を歩いてみたいという欲求に取り憑かれる。
資料を集め、登山仲間や地元有志に声をかけ、
その全ルート解明に取り組む。
藪漕ぎやビバークなどしながら、村山古道を探し回る。
そして、ついに村山浅間神社から新六合目に達するのである。

本書には、
田子の浦(海抜0メートル)から村山浅間神社を経て新六合目に至るルートを詳しく記してある。
著者は、
田子の浦から村山浅間神社までを「村山道」と呼び、
村山浅間神社から新六合目までを「村山古道」と使い分けている。
本書を読むと、いにしえ人の姿が目に浮かぶようであった。


図書館から何度も借りて読んでいるうち、図書館の本を独占するのも憚られ、
自分用の本も購入し、


線を引きながら熟読した。
読めば読むほど興味が湧き、読めば読むほど富士山への思いが募った。


海抜0メートルから登る富士山。
1000年の歴史がある道。
途中で水の補給も困難。
指導標もそれほど多くなく、ルートファインディングの力がないと難しいコース。
手垢のついてない素晴らしき山道。
〈このルートなら登ってみたい〉
と心底思った。


海抜0メートルからの登頂。
「SEA TO SUMMIT」
なんて魅力的な言葉だろう。
もうひとつ、
「ZERO TO ZERO」
という言葉もある。
「海抜0メートルから海抜0メートルへ」
これも同時に富士山で達成してみたい。
本書を読んでいて、夢はどんどんふくらんでいった。


こうして、2011年、私の「海抜0メートルから登る富士山」は叶ったのである。




初日は、田子の浦から村山浅間神社まで歩き、
二日目は、村山浅間神社から新六合目まで歩き、
宝永山荘へ宿泊申し込みをした。
ここ宝永山荘は、『富士山・村山古道を歩く』の著者である畠掘操八氏の常宿で、
著者にあやかって私もここに泊まることにしたのだ。


山荘の方にいろいろ訊かれたので、
「田子の浦から村山古道を歩いてきた」
と答えると、
「昨夜、畠掘さんがここに泊まられたのよ」
と教えて頂いた。
「今朝4時にお仲間と登られたから、もうすぐ下山してこられる筈ですよ」
とも。
山荘の二階で休憩していると、
「お客さ~ん、畠掘さんがみえましたよ~」
との声。
急いで階下に降りる。
そして、畠掘操八氏と感激の対面。
嬉しかった~
私が海抜0メートルから富士山に登るキッカケを作って下さった恩人。
感謝の言葉を伝える。
まさか、富士山で、畠掘氏に出会えるとは思ってもみなかった。
愛読している本の著者に会えるなんて(それも富士山で)、普通、あり得ない出来事である。
〈きっと山の神様が引きあわせて下さったのだろう……〉
そう思わずにはいられなかった。

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