一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

私自身のための第1回「一日の王」紅白歌合戦 ……対戦11組目「橋」対決……

2024年12月16日 | 私自身のための「一日の王」紅白歌合戦


私自身のための第1回「一日の王」紅白歌合戦の、
対戦11組目は、「橋」対決。(これまでの対戦はコチラから)

紅組は、西島三重子「千登勢橋」。


白組は、NSP「面影橋」。



西島三重子についても、今の若い人はほとんど知らないだろう。
知っていてもヒットした「池上線」くらいで、
「千登勢橋」までは知らないのではないだろうか?


【西島三重子】(にしじま・みえこ)
日本の女性シンガーソングライター、作曲家。
1950年8月17日生まれ。東京都中野区出身。
小学校から短大まで、
一貫教育で知られる東京都豊島区目白の私立女子校「川村学園」に通う。
川村小学校、川村中学校・高等学校を経て、
川村短期大学家政科を卒業し栄養士の資格を取得する。
短大卒業後、子供の頃から好きだった絵を志して和光大学人文学部芸術学科に入学するが、
後に中退する。
1974年、渋谷西武「チャオパルコ サウンドオーディション」に出場して優勝。
ワーナー・パイオニアのディレクターに認められる。
1975年9月25日、アルバム『風車』及びシングル「のんだくれ」でデビュー。
1976年4月25日に発売されたセカンド・シングル「池上線」が、
極めて息の長いヒットとなり、自身の代表曲となった。



東京にいた大学生の頃、西島三重子が好きで、
特に「池上線」をよく聴いていた。


「千登勢橋」は、1979年10月25日に発売された西島三重子の8枚目のシングル曲で、
このとき私はすでに大学を卒業し、広尾にあった編集プロダクションで働いていた。
「池上線」よりも「千登勢橋」の方になぜ思い入れがあるかというと、
大学時代、私は(新聞配達や集金をしながら)新聞奨学生として生活していたのだが、
住み込みで働いていた場所(新聞の専売所)が目白駅の近く(新宿区下落合)にあり、
千登勢橋を配達や集金で毎日のように通っていたからだ。


【千登世橋】(ちとせばし)
東京都豊島区目白1丁目と雑司が谷との境界にある跨道橋である。
橋上に目白通りを通し、明治通りを跨ぐ立体交差になっており、
東側に位置する千登世小橋で都電荒川線を跨ぐ。
橋の西にJRの目白駅・学習院大学、
橋の東北に東京メトロの雑司が谷駅、都電の鬼子母神前停留場がある。
明治通り、都電が目白通りの北側から神田川に掛かる高戸橋に向けて下り坂になっているのに対して、目白通りはほぼ同じ高さの台地上を通る。
西北側、東北側、東南側に明治通りへ降りる階段(歩道)があり、
西北側に明治通りへ降りる斜路(車道)がある。



千登勢橋周辺には、思い出がたくさんあり、
西島三重子が小学、中学、高校、短大と通学していたという「川村学園」にも、
私が配達・集金をしていた。
その他、「肉体の門」などで有名な作家の田村泰次郎の家にも私が配達・集金していたし、
目白駅近辺では(五代目の)柳家小さん(1915年~2002年)にもよく会っていた。


「千登勢橋」を聴くと、
目白周辺で生活していた日々や、当時つきあっていた彼女を思い出し、
胸がキュンとなるのである。

「池上線」の歌詞に、

泣いてはダメだと 胸にきかせて
白いハンカチを 握りしめたの


とあるのだが、
「千登勢橋」にも、

千登勢橋から落とした
白いハンカチが


とあり、“白いハンカチ”という言葉が受け継がれており、
物語性を強く感じるし、昭和50年代の時代性が色濃く表現されていると思うのだ。



NSPの方も、今の若い人はあまり知らないと思うので、
簡単に紹介だけしておこう。


【NSP】(エヌエスピー)
岩手県出身の3人組(天野滋、中村貴之、平賀和人)のフォーク・グループ。
一関工業高等専門学校の同級生であった3人が在学中の1972年に結成した。
アマチュア時代はニュー・サディスティック・ピンク (New Sadistic Pink) として、
当初はロックを中心に活動していた。
フォークの曲調とバンド名が合わないため、
メジャーデビューする際にNSP (N.S.P.) とした。
1974年に「夕暮れ時はさびしそう」がオリコン11位の大ヒットに、
同年のアルバム『NSP III ひとやすみ』はオリコン4位のヒットを記録。
その後も、1976年「赤い糸の伝説」がヒットし、
叙情派フォークを代表するグループとなる。



NSPも大学時代によく聴いていた。
「夕暮れ時はさびしそう」が特に有名だが、
その他の曲も素晴らしい曲ばかりで、
NSPの曲を聴くと、瞬時にあの時代へと私を運び去ってくれる。


「面影橋」は、西島三重子の「千登勢橋」と同じ年(1979年)の3月21日に、
(アルバム「風の旋律」からシングルカットされた)
NSPの15枚目のシングル曲として発売されており、

君には君を 愛する人が いつもそばにいるのに
僕のくちづけを受けた 訳がわからない
黄昏せまる面影橋に 見送るつもりで来たが
帰したくなくなって サヨナラ言えない


という歌詞が「道ならぬ恋」を予感させ、聴く者をドキドキさせる名曲である。

面影橋は、
都内の一級河川・神田川に架かる豊島区と新宿区の境目を結ぶ橋で、


「東京さくらトラム」の愛称で親しまれる都電荒川線の停留所名にもなっている。


「千登勢橋」と「面影橋」は、案外近い場所にあり、
私が働いていた新聞専売所の配達区域でもあった。
そういう意味でも「千登勢橋」と「面影橋」は、関係性があったのである。

NSPは私より1学年上の3人組だが、
天野滋(ヴォーカル・ギター)2005年7月1日に死去(享年52歳)
中村貴之(ヴォーカル・ギター)2021年11月27日に死去(享年68歳)
の2人はすでに亡くなっており、
当然のことながら、もうナマで演奏曲を聴くことは叶わないのである。



※西島三重子「千登勢橋」(1979年10月発売)


※NSP「面影橋」(1979年3月発売)

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