一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『愛を綴る女』 ……マリオン・コティヤールがすべてを晒している衝撃作……

2017年11月22日 | 映画


私が映画を見始めた頃、
小学生から中学生時代にかけて(1960年代)、
外国映画といえば、フランス映画であった。

『太陽がいっぱい』(1960年)
『勝手にしやがれ』(1960年)
『去年マリエンバートで』(1960年)
『突然炎のごとく』(1961年)
『シベールの日曜日』(1962年)
『太陽はひとりぼっち』(1962年)
『シェルブールの雨傘』(1963年)
『アイドルを探せ』(1963年)
『ファントマ/危機脱出』(1964年)
『ファントマ/電光石火』(1965年)
『気狂いピエロ』(1965年)
『男と女』(1966年)
『ロシュフォールの恋人たち』(1966年)
『冒険者たち』(1967年)
『昼顔』(1967年)
『パリのめぐり逢い』(1967年)
『個人教授』(1968年)
『白い恋人たち』(1968年)
『あの胸にもういちど』(1968年)
『暗くなるまでこの恋を』(1969年)
『ボルサリーノ』(1969年)


等々。
男優では、アラン・ドロン、ジャン=ポール・ベルモンド、ルノー・ヴェルレーなど、
女優では、カトリーヌ・ドヌーヴ、ブリジット・バルドー、ナタリー・ドロンなどが大人気。
フランシス・レイが作曲した、
『男と女』『パリのめぐり逢い』『個人教授』『白い恋人たち』などの映画音楽もヒットし、
ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、ルネ・クレマン、クロード・ルルーシュなどの監督が映画専門誌の誌面を賑わせていた。
それが、いつの間にかアメリカ映画がフランス映画を凌駕し、
普通のシネコンなどでは、(フランス映画は)なかなか見られなくなった。
佐賀にシアターシエマができてからは、
フランス映画を見る機会も増えてきたが、
都会に比べればまだまだ……だ。
そこで、福岡へ行ったときには、
なるべくハリウッド映画以外の作品を見るようにしているのだが、
先日、中江有里さんのトークイベントに参加するために福岡へ行った際、
トークイベントは午後からだったので、
午前中は、KBCシネマで映画を見ることにしたのだった。


鑑賞した作品は、フランス映画『愛を綴る女』。


原作は、ミレーナ・アグスのベストセラー恋愛小説『祖母の手帖』。


監督は、女優としても活躍しているニコール・ガルシア。


主演は、『エディット・ピアフ 愛の讃歌』『サンドラの週末』のマリオン・コティヤール。
マリオン・コティヤールといえば、
2013年の「世界で最も美しい顔100人」で第1位を獲得したこともある美貌の持ち主。


期待に胸を膨らませて映画館に入ったのだった。




フランス南部の小さな村に暮らす若くて美しいガブリエル(マリオン・コティヤール)。


熱烈な愛の手紙を綴る情熱的な女性で、
最愛の男性との結婚を夢見ている。


だが、地元の教師に一方的な恋をし、
官能的な内容の手紙を綴り渡したことにより、
ドン引きされ、恋に破れる。


見かねた母親は、スペイン労働者のジョゼ(アレックス・ブレンデミュール)に、
ガブリエルとの結婚をもちかける。
ガブリエルのことが気になっていたジョゼは承諾するが、
ガブリエルは良い返事をしない。
説得され、不本意ながらも、渋々ジョゼと結婚するガブリエル。


「あなたを絶対愛さない」
と言うガブリエルに対し、
「俺も愛していない」
と返すジョゼ。


そう誓いあったにもかかわらず、
あることがキッカケで訪れる官能的な夫婦の営み。
やがて妊娠するが、流産する。
原因は、ガブリエルの躰にできた大きな結石だった。
度々大きな痛みに襲われるため、妊娠しても流産するのだった。
子を望まないガブリエルは「それでもいい」と思っていたが、
ジョゼはアルプス山麓の療養所で治療させることにする。


その療養所で、ガブリエルは、
インドシナ戦争で負傷した「帰還兵」アンドレ(ルイ・ガレル)と運命的な出逢いを果たす。


それは、彼女が綴る“清冽な愛の物語”の始まりだった……





「明るく、単純で、わかりやすい」アメリカ映画を見慣れている人には、
「暗く、複雑で、むずかしい」フランス映画は敬遠されることだろう。
アメリカ映画は、アクションも派手で、刺激的な内容だが、
フランス映画は、地味で、屈折していて、寂しさが漂う。
「何を好き好んで……」と思われるかもしれないが、
昔、フランス映画に親しんだ者にとっては、これが堪らなく好いのだ。
人生の機微が感じられ、「生きている」ということを実感させられる。
映画『愛を綴る女』も、まさにそんな作品であった。


予告編を見て、
〈ネタバレしてるやん!〉
と思ったが、本編を見て、そんな単純な物語ではないことを知った。
いやはや、素晴らしい作品であった。
私は、そのラストに至るシーンを見て、
なんだかミステリーの「からくり」を見せられているような錯覚をおぼえた。
これだからフランス映画は油断ができない。


特筆すべきは、
ガブリエルを演じたマリオン・コティヤールの美しさ。


驚くべきことに、彼女は、この映画ですべてを晒している。
あらゆる表情、


あらゆる感情、


あらゆる動作、


あらゆる演技、


あらゆる肉体、


裸体はおろか、性器まで晒しているのだ。(もちろんモザイクをかけてはあるが……)


マリオン・コティヤールはこの役に必要な神秘的雰囲気を備えていて、いっしょに仕事をすれば彼女にはフランス映画にはまれな官能的なところもあることがわかるはず。ラブシーンだけではなくて、ガブリエルはあらゆる場面で官能的なの。歩いているときや自分の部屋で本を読んでいるときもね。彼女の身体はいつもおしゃべりしているの。冒頭のシーンで、ガブリエルが川の水のなかに入り、スカートがめくれて水中で彼女の性器があらわになる。それこそ私が見せたかったことなの。クールベの描いた「世界の起源」ね。それが、この映画のテーマなの。

ニコール・ガルシア監督はそう語っているが、
この冒頭のシーンは、クールベの描いた「世界の起源」を初めて見たとき以上の衝撃だ。
ニコール・ガルシア監督は、
マリオン・コティヤールの美しさだけではなく、
性的魅力、秘めたる情熱、ほとばしる奔放さ、突き進む一途さなど、
彼女のすべてを撮っている。
彼女が持っているもの(肉体も含めて)すべてを晒しているのだ。


マリオン・コティヤールの美しさを一段と際立たせているのは、風景だ。
海や、


アルプスの風景が、
彼女を一層引き立てる。


そして、音楽。
この作品では、重要な場面で、チャイコフスキーの「舟歌」が流れる。
この美しい旋律が、
ガブリエル(マリオン・コティヤール)を甘美な世界へ導き、
後には、記憶を呼び覚ます役割を果たす。


17年にも及ぶひとりの女性の“理想の愛”と“自由への希求”を、
マリオン・コティヤールが抑制を利かせた、それでいて官能的な演技で、
リアルにスクリーンに息づかせた究極のラブストーリー。
たまには映画館で、ぜひぜひ。

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