一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『南北アメリカ徒歩縦横断日記』池田拓(無明舎出版1996.8刊)

2009年07月09日 | 読書


先日、私のバイブルとしてアラン・ブースの『ニッポン縦断日記』を紹介したが、今日は、この本と同じくらい私が愛している本を紹介しよう。
池田拓著『南北アメリカ徒歩縦横断日記』だ。
発行所は秋田市にある無明舎出版
600頁以上もある大きくて厚い本だ。
この本は現在も無明舎出版で買うことができる。
地方出版社ならではと言えるだろう。
価格は3780円。

本書は、徒歩によって北米大陸横断・南米大陸縦断(約2万キロ)した、池田拓という青年の日記で構成されている。
日記は、原稿用紙に換算して3000枚にもなる。

【池田 拓】略歴
1966年11月30日、酒田市に生まれる。
幼くして重度の腎臓病を患い、小学3年生までの5年間を病床ですごす。

1979年春、平田町立南平田小学校卒業。
中学校の3年間も病弱のため体育活動には参加できず、吹奏楽部員として、また生徒会長として文化活動に専念する。

1982年春、平田町立飛鳥中学校卒業。
高校時代は吹奏楽部のコンダクターとして活躍するかたわら、遊びたい盛りに失った空白を埋めるべく、登山や強歩で体力づくりに励む。

1985年春、山形県立酒田東高等学校卒業。
幼児期のつらい体験を生かしたいと小児科医を志すが受験に失敗。
仙台の予備校に通う。

1987年春、「若い今でしかやれないことがある」と一念発起。
上京して体力づくりを兼ねての厳しい労働に従事する。

1988年秋、汗で稼いだ200万円を握りしめてアメリカ大陸へ旅立つ。
9ヵ月を歩き続けて北米大陸を横断。
グアテマラでスペイン語を学んだ後、1年8ヵ月を歩きに歩いて南米大陸を縦断。
飢え、寒さ、渇きに耐え抜いて果たした世界初の快挙であった。

1991年秋、帰国。
大開発企業による鳥海山の乱開発計画に抗して、自然保護運動に没頭するかたわら、アメリカの大学で森林生態学を学ぶための資金稼ぎに上京、建設労働に従事する。

1992年5月20日、不慮の労働災害に遭い他界。
享年26歳。

初版(1996年8月)が出てすぐ私はこの本を買ったのだが、その時には著者である池田拓という青年はもうこの世にいなかった。
それだけに本書はいろいろな意味で重みを増す。
私にとっても特別の本である。

本書の冒頭に、父親である池田昭二氏による「息子・拓へ」という文章がある。
病弱だった幼い頃の思い出から始まり、南北アメリカ徒歩縦横断への挑戦、鳥海山の乱開発に対する反対運動に積極的に関わるようになった経緯などが語られている。

「ぼくが冒険家だなんて、とんでもない。ぼくはただ歩き続けた一見の旅人。歩き続ければ何時か着く。それをぼくは確かめただけなんだ」
父親から見ても、息子である拓青年は、いつも謙虚であったという。

アメリカの大学で森林生態学を勉強するのだと東京でバイトをしていたとき……作業中のビルの5階から突然降ってきた鉄材の直撃を受けて、永遠に還らぬ人となった。
現場に残されたバッグには、自然保護運動への協力依頼の手紙、署名用紙の束などがあったという。

私が以前、『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画を紹介した時、映画の主人公の行動に否定的だったのは、たぶん私が池田拓という青年と比較していたからだと思う。
彼の行動こそが、まさに「荒野へ」だと思う。

環境の危機、地球の危機が叫ばれている今、自然保護運動をしていた一人の有望な青年の死を私は惜しむ。
このような青年がいたことを、南北アメリカ徒歩縦横断を成し遂げた偉業と共に、いつまでも記憶していたいと思っている。

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