旭通り(神辺街道)にある床屋(北吉津町4丁目11番)の脇道に入る。南へ進むと福山市立東保育所の建物が見え道は右に折れ曲がり更に細くなる。

保育所の敷地と(正門前の道から)もう一本西の路地までの一帯にかつて両備(軽便)鉄道の吉津停留場があった(昭和5年の福山市街地図を参照)。その期間は大正4年(1915)年5月から昭和10年(1935)年12月までと短いため、跡地と知っているのは地元の古老や鉄道マニアくらいであろう。現在の住所では北吉津4丁目9番辺りが該当するものと思われる(駅舎は旭通りとほぼ平行に建っている)

福山案内大正版に両備軽便鉄道の時刻表が載っているので紹介しておこう。両備福山(発)→胡町→吉津→横尾→…→府中(着)という順に車両が停車し、福山・府中間を1時間23分で結んでいた(大正3年7月の開業時には胡町と吉津の停留場はなかった)。
昭和8年9月両備鉄道は国有化され路線は福塩線(そして停留場は駅)と呼ばれるようになった。現在のルートはその後付け替えられたもので備後本庄駅を経由して横尾駅に向っている。廃止された路線の一部が国道313号(旧182号)として利用されたことは先に述べた通りである。


保育所の敷地と(正門前の道から)もう一本西の路地までの一帯にかつて両備(軽便)鉄道の吉津停留場があった(昭和5年の福山市街地図を参照)。その期間は大正4年(1915)年5月から昭和10年(1935)年12月までと短いため、跡地と知っているのは地元の古老や鉄道マニアくらいであろう。現在の住所では北吉津4丁目9番辺りが該当するものと思われる(駅舎は旭通りとほぼ平行に建っている)

福山案内大正版に両備軽便鉄道の時刻表が載っているので紹介しておこう。両備福山(発)→胡町→吉津→横尾→…→府中(着)という順に車両が停車し、福山・府中間を1時間23分で結んでいた(大正3年7月の開業時には胡町と吉津の停留場はなかった)。
昭和8年9月両備鉄道は国有化され路線は福塩線(そして停留場は駅)と呼ばれるようになった。現在のルートはその後付け替えられたもので備後本庄駅を経由して横尾駅に向っている。廃止された路線の一部が国道313号(旧182号)として利用されたことは先に述べた通りである。

