大新田地区の氏神様である杵築神社(きつきじんじゃ)に立ち寄った。社殿自体はこじんまりとしたものである。『今治市誌(昭和18年)』には以下の記述があった。
第二編
第一章 神社及宗教
第一節 神社
八、村社 大山積神社(石井)及境外末社
大山積神社は、大字石井字繁榮に鎭座あり、大山積神を主神とし、相殿に上津比賣命・大穴牟遲命・須佐之男命・市杵島比賣命を祭る。蓋し大山積神以下の三神は、大三島に鎭座する國幣大社大山祇神社の祭神である。(中略)
本社の境外末社は左の二社である。
杵築神社(大穴牟遲命) 大字大新田字五反地に鎭座
須賀神社(須佐之男命) 大字石井字新開畑に鎭座



参拝を済ませた私は大正7年(1918)9月に建立された社碑に注目した。表には「正六位勲六等三嶌敦雄謹書」という文字も彫られている。



揮毫者は今治市大三島町宮浦にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の宮司を務めた人物(『天孫人種六千年史』の著作あり)と思われる。実際に杵築神社の主祭神の一つは大山積命である。この年は米騒動が全国に広がり大事になった。岡山では騒擾事件に多くの与太者が関与していたことが分かっている(※参考文献『岡山県下の米騒動 ‐農民運動との関連を中心に‐/ 増島宏』)

注連柱には「日支事變凱旋紀念」の刻銘有り。満州事変が始まったのは昭和6年(1931)9月。神社に遺された石造物の調査が結果的には我が国の重要な出来事(戦争拡大への道)を振り返るきっかけになったのである。

第二編
第一章 神社及宗教
第一節 神社
八、村社 大山積神社(石井)及境外末社
大山積神社は、大字石井字繁榮に鎭座あり、大山積神を主神とし、相殿に上津比賣命・大穴牟遲命・須佐之男命・市杵島比賣命を祭る。蓋し大山積神以下の三神は、大三島に鎭座する國幣大社大山祇神社の祭神である。(中略)
本社の境外末社は左の二社である。
杵築神社(大穴牟遲命) 大字大新田字五反地に鎭座
須賀神社(須佐之男命) 大字石井字新開畑に鎭座



参拝を済ませた私は大正7年(1918)9月に建立された社碑に注目した。表には「正六位勲六等三嶌敦雄謹書」という文字も彫られている。



揮毫者は今治市大三島町宮浦にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の宮司を務めた人物(『天孫人種六千年史』の著作あり)と思われる。実際に杵築神社の主祭神の一つは大山積命である。この年は米騒動が全国に広がり大事になった。岡山では騒擾事件に多くの与太者が関与していたことが分かっている(※参考文献『岡山県下の米騒動 ‐農民運動との関連を中心に‐/ 増島宏』)

注連柱には「日支事變凱旋紀念」の刻銘有り。満州事変が始まったのは昭和6年(1931)9月。神社に遺された石造物の調査が結果的には我が国の重要な出来事(戦争拡大への道)を振り返るきっかけになったのである。
