寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

心月寺の門前はかつて遊里だった

2008年10月19日 | 

「九十九橋」から足羽川を望む。橋の南詰に堤防が築かれるまでは大雨が降るたびに氾濫を繰り返して河原の近くで暮らす人達を苦しめた川である。

「心月寺」と「みどり幼稚園」

「心月寺」の門前は江戸時代、「誓願寺町」と呼ばれ、城下で唯一の「遊廓」があり芝居役者も住んでいたという(『福井県史』第二冊第二編)。現在の足羽1丁目に遊里の痕跡は見当たらない。

足羽1丁目界隈

「遊廓」は明治18(1885)年に「九十九橋」南詰西方の川沿いに移ったが、大火に遭って栄町(石場畑方)に移転している。

「みどり幼稚園」を出て「そば四ヶ浦屋」の横を通って最初の十字路を左折した。西に200mほど行くと銭湯「たきのゆ」がある。駐車場は完全に埋まり繁盛しているのが分かる。私は漸く「赤線跡」に近づいた。

銭湯「たきのゆ」

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