浅川沿いに建つ小さな「加茂神社(セジュールコート東側に位置)」。現在地に新築移転したのは昭和53年(1978)と石碑に書かれている。
神社から90mほど南下すると「砂川橋」の袂に赤頭巾をかぶった地蔵が祀られている。台座石に「天保十三寅七月吉日」の刻銘あり。
対岸に見える大きな建物が今治市立別宮小学校である。前身は大正期創設の第四小学校にあたる。約170年前に造られた地蔵が通学する児童を静かに見守っているのであった。
『今治市誌(昭和18年)』
第二編
第二章 教育
第二節 維新後の教育と小學校
四、今治第四尋常高等小學校
大正十二年市立第三小學校何れも兒童數が增加して、校舍狹隘を告ぐるに至つたので、同年四月通學區域の大異動を行ひ、主として第二第三兩小學校の通學區域から、別宮・北新町・西新町・慶應町・漁師町・砂河・鴨河・高地・夏目・海地の各を割ひて一通學區域としたが、同校舍が大正十三年四月落成するまでは兒童を三小學校の假校舍に收容してゐた。昭和三年四月高等科を廢して、今治市今治第四尋常小學校と稱するに至つた。
神社から90mほど南下すると「砂川橋」の袂に赤頭巾をかぶった地蔵が祀られている。台座石に「天保十三寅七月吉日」の刻銘あり。
対岸に見える大きな建物が今治市立別宮小学校である。前身は大正期創設の第四小学校にあたる。約170年前に造られた地蔵が通学する児童を静かに見守っているのであった。
『今治市誌(昭和18年)』
第二編
第二章 教育
第二節 維新後の教育と小學校
四、今治第四尋常高等小學校
大正十二年市立第三小學校何れも兒童數が增加して、校舍狹隘を告ぐるに至つたので、同年四月通學區域の大異動を行ひ、主として第二第三兩小學校の通學區域から、別宮・北新町・西新町・慶應町・漁師町・砂河・鴨河・高地・夏目・海地の各を割ひて一通學區域としたが、同校舍が大正十三年四月落成するまでは兒童を三小學校の假校舍に收容してゐた。昭和三年四月高等科を廢して、今治市今治第四尋常小學校と稱するに至つた。