自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

信念の効用

2013年02月11日 | 健康のための心の波動

 

信仰の病気への影響       平成25年2月11日

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病を患っている人、それぞれ信念があり、また宗教を

持っていらっしゃる方も多い。

それぞれの宗教は、人の業(ごう)や、罪深さなど

について、それぞれの聖典に記された特定の

観念を持っている。

その観念が あるときには、病気の過程において、

治りを遅らせたり、早めたり、微妙に働くこと

がある。

 

内田医師は ご自分の体験から次のようなお話しをされている。

”肺結核が治ったあと、真菌症と気管支喘息で

長い入院生活を送っている老人が、

月に一回 外出し、お寺の法話を聞いていました。

 

ある日、法話の内容を尋ねてみると、

’人間には 108 ヶの煩悩があって、

到底この世では救われないのです。

死んで西方浄土へ行ったとき、

初めて救われるのです。それまでは、この世は

苦しみの生活をしなければならないのです・・・’

 

というのでした。 

そこで、私は、

 

’そうしたら、大晦日の夜の除夜の鐘は

どうしてつくのですか?あれは、ゴーンゴーン 

と 108回つくうちに、一つずつの罪穢れが

消されてすっかり今年一年の煩悩が消滅され、

清らかな新しい気持ちで 新年を迎える

のではありませんか?

 

そんな苦しい思いで入院していたら、病気が

よくなりませんよ。” と申しましたところ、

’いえ、私の病気は治らない方が良いのです。 

治さないでください。’

と、意外な事を言われるので、私はぞっとして

おりました。

 

翌日、猛烈な気管支喘息発作が起こり、呼吸困難で、

’早く、治してほしい’と叫ばれるのです。

 

’108ヶ の煩悩なんか、無いのですよ。 

お釈迦様はすでに救ってくださっているのです。 

すべてに感謝して、気を楽に持つように

しましょうね。と 背中をゆっくりさすって、

深呼吸をうながし注射をすると、次第に楽に

なってきました。 

 

また、このようなこともありました。

 

’人間は罪深いので、キリストさまと同じように、

十字架を背負わなければならないのです・・・’

  

と言いながら、何度も喀血を繰り返し、苦しんで

いられる方がおられました。その方に、

 

’キリストさまはご自身が、人間の苦しみを

十字架にかかって消されたので、3日後に

復活されたのではありませんか? 

ですから、人間はもうそんなに、

苦しまなくても、すでに救われているの

でしょう。

 

いつまでも十字架を背負っていたら、

キリストさまが悲しまれますよ。

とお話ししますと、

’ああ、そうでしたね。 

気が楽になりました。 

宗教を間違って、解釈すると大変なこと

になりますね。’

 

と、頬に赤みがさし、その後、日に日に、

回復されていきました。

 

本来救いであるべき宗教を、聖者が

説かれた真意の通り、正しく理解して、

把握することが、いかに大切であるかを

私はしばしば痛感するのです。”

 

人は裁くことが、どうして、こんなに

好きなのだろう。

それぞれ、信念を持ち、価値観を持ち

生きている私たち。

 

それはその人の個性が異なるように、

少しずつ違う価値観だ。

自分の価値観はこうです~と主張しなければ

ならないときはあるかもしれない。

 

江戸時代の踏み絵のように、マリア様の

写真を、土足で踏みつけることができるか

どうか?

遠藤周作の小説のテーマにもなっていた、

人の信念 と その主張の方法 はこれまた、

一人ひとり異なる。

 

”裁く” というのは、”価値”をある ”特定の基準” 

に合わせ、その基準にあえば、”良し”、

合わなければ”悪い” というレッテルを貼ること。

 

生活空間の常識 や、暗黙のルール、独裁者の

沈黙の圧力や、組織の流儀によって、

それらの ”特定の基準” が造られていく。

 

こと、宗教の 正しいとする基準にいたっては、

人々は 信仰を持つがゆえに、譲ろうとは

しないだろう。

 

罪 と、穢れた性分 という、意識においても 

然りだ。ここで内田医師が述べられている、すでに、

穢れ は存在し無い存在、 罪は許されている

存在、それが私たちだという。

 

それはいいなおせば、人の本来の性分は、

アートマという 傷のない珠(たま)のようなもの、

限りなく、完全な存在であると言い換える事が

できるだろう。

 

自分は罪が深いのだから、許されるはずないのだから、

この病気も 自分自身への 処罰だ~

と 自分を自分で裁いている・・・

心理学的にいえば、こういう 精神状態が、

病を長引かせているといっても過言でない

と思う。

 

人を裁く人は、自分自身を裁く人だ。

かつて私もそうだった。 

当時は、アトピーで体や顔、手足の痒さに

悩まされていた。

ひっかきながら、自分の小ささを想った。

 

カサカサの皮膚が自分のカサカサの心を顕わして

いるようで、許せない気がした。自分自身を 

”良くない。理想とほど遠い存在だ。 

生きていて何の価値もない”と思った。

 

こんなとき、他者の、素晴らしさを観る余裕

もないし、見ているつもりでも、理解して

いなかっただろう

自分を 愛せて、人を愛せる という 

格言は 本当だ。

 

”自分を愛する前に、他者を愛せ” 

というのは 観念的に聞こえる。

自分を愛せないのに、人を愛せるのだろうか?

だから、キリストさまは ”自分を愛するように、

他者を愛せ” と言われたのだと思う。

 

 

 

参考資料: ”生命医療を求めて” 

内科医 内田久子著 平成7年11月1日18刷発行 

発行所 日本教文社

内田医師について: 

昭和2年大阪生まれ・昭和25年

大阪女子高等医学専門学校(現在関西医大)を卒業。

その後 大阪大学附属病院、池田市立病院、

国立療養所、私立病院内科部長を経て講演活動も行った。

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コメント (2)
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