肉体を眺める自分 平成25年2月26日
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死後体験をした人たちは、大きな唸る音とともに、
暗い空間を猛烈な速度でひっぱられていく感じを
体験している。
トンネル というのは 一つの形容で、その他にも、
通風筒、谷間、円筒、真空空間などの表現があるが、
いずれも、引っ張られる という感覚には変わりはない。
具体的事例を挙げてみたい。
“あの体験をしたのは、少年のころです。
非常に強いショックを受けたので、忘れられません。
在る日の午後、身体の具合がひどく悪くなり、
病院に運ばれました。
医者たちは、麻酔で私を眠らせようとしました。
あの当時、麻酔はエーテルを使っていました。
医者が、エーテルを浸した布を私の鼻にあてがった
とたん、これは、後で聞いたのですが、私の心臓は
停止してしまったのです。
あの時の感じをそっくり表現するなら、最初に
ブルルルルーンという非常にリズミカルな音が
何度もして、長くて暗い場所を通り抜けていきました。
下水道のようでした。
私がそこを通り抜けている間、ずっとその音は
続いていました。“ (例1)
局部麻酔でアレルギー反応を起こして、呼吸停止
状態になった患者は、こう語る:
“真空の暗闇の中を、猛烈なスピードで通り抜けて
いきました。トンネルみたいなところです。
遊園地のローラー・コースターに乗っているみたいに、
そのトンネルのなかをものすごい、スピードで通り
抜けていたのです”(例2)
暗くて狭い峡谷、通路、など表現は異なるが同様の
感覚で下に下にと落ちて行ったり、通り抜ける体験に
変わりない。交通事故に在って瀕死状態になった女性は、
次のように言う。
“完全な安らぎと静寂に包まれていて、不安は感じません
でした。自分がトンネルの中、そう、同心円のタイム
トンネルの中にいることに気がつきました“(例3)
漫画やアニメで、タイムトンネルという映像になじみ
深い私たちだ。もしかしたら、肉体の物理的死と同時に、
心(魂)は、タイムトンネルのような最新科学でも創り
えない、時間と空間を超越して、異次元にフォーメーション
させる空間を通り抜けるのかもしれない。
朝、起きるとき、ストンと高い所から落下しながら、
体がヒューっと風を切る感じで、目が覚めることが
時々ある。
もし、夢 が ある学者の説のように、幽体が離脱
しているという状況であるのなら、”異次元から戻る”
という意味で、そういう空間を通っているのかもしれない。
物理的肉体から離れる魂
ムーア博士の 死後の体験モデルケースにもあるように、
トンネルを抜けたら、そこは、肉体と離れた場所だった~
というように、死後、ヒトは、自己の亡骸を見下ろして
いるもう一人の自分に気が付く。
それを、傍観者のように、意識をもって眺めている自分
は誰だ?と疑問に思う。
さっきまで、苦しんでいた自分を囲んで、医師が蘇生
を試みて、必死になっている。
家族が泣きながら、自分の名前を連呼している。
それらを、冷静に見ながら、‘私はここにいるのに、
なぜなのだろう?’と当惑するのだ。
肉体の自分が私だ~と当たり前に考えていた自分が、
肉体を見下ろしながら、やっと、“わたしは 私で
あるが、あの、肉体ではない” と 気がつくらしい。
ムーア博士はこの、”脳神経”で 感知する私という意識
と、肉体を離れたとき感じる私 との関係を次のように
説明する。
“私たちは 精神 があることを承知している。
大半の人間は、自分たちの 物理的肉体 と
自己を同一視 している。だから、精神 という
概念は、肉体という概念より、つかみどころがない。
精神といったところで 終局的には、脳の中で
生じる、電気的、および、化学的な活動作用である
と考える。
そして、脳 は 物理的肉体 の一部であると認識
している。だから、多くの人間にとって、自分という
物理的肉体を離れ、他の場所で存在するということが、
一体、どういうことなのか、想像することも不可能
である。“
参考:
”かいま見た死後の世界” レイモンド・A・ムーディ・Jr.
中山 善之訳 評論社 昭和58年
レイモンド博士について:
バージニア大学、大学院で哲学専攻
1969年 哲学博士号取得、
3年間 ノースキャロライナ東部の大学で教鞭をとる。
1972年 バージニア医学大学に入学。医学博士号を取得。
1965年 死後の世界の体験談を
聞き、その後、死後の世界体験者に面接。
特異な分野研究を行い今日に至る。
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