生と死のはざまで 平成25年2月21日
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生命と自然治癒力の効用を十分に生かす治療を
されてきた、内科医内田医師はご自身が
ご両親を15年介護されてきたので、老齢の
患者さんに対しても深い理解を示されている。
脳出血こん睡状態で入院した82歳の老女は、
脳検査で順室の横に、かなり大きな出血が
みられた。 家族は高齢であるからという
ことで、あきらめて、平静に看病されていた
ところ、脳出血はあとかたなく、吸収されて、
意識も回復。麻痺などの後遺症も残らず、
2か月後には歩いて退院された。
この患者の家族構成は、母一人、娘一人。
50歳の娘さんは教職についているので、
家事の手助けなど、82歳といえども、
それまでこなしていた。
生きる意欲というのは、何か自分がする
仕事がある、人のために役立っている
という心持とつながるようだ。
この場合、”もう一度、元気になって、
家のことをしてやらなければ。”という
親心が、老婆の回復に役立ったようだと
内田医師は感想を述べている。
これとは反対に、子供たちが独立して
巣立ち、孫たちの世話も見る必要がない
という経済的に安定している家庭の場合、
祖父母の役割を当てにされることも
あまりない。
そのためか、再起の意欲 が起きない
こともあり、”寝たきり老人”に、
移行する実例もあるという。
内田医師はさらに、最期を迎えようと
している患者の枕元で、家族兄弟が
話すことは患者は寝ているようでも、
心は起きていて、しっかりと話しの
内容も理解していると述べる。
だから、軋轢(あつれき)を病室
に持ちこまないこと、遺産相続に
絡まる話なども謹むべきだと
以下の例を挙げて説明している。
”脳出血昏睡、心不全の90歳の患者さん。
家族一同で見舞いに来られる様子もない。
たまに、長男が顔を出されるが、付添婦の
支払いの時と決まっている。
’まだ、死にませんか?’と病状をきく
どころが、以外な質問をした。
あるとき、病状悪化が迫っている老母の
枕元で、兄弟夫婦た病室に集まり、
遺産相続で争いあっているところに、
遭遇した。
たとえ、意識不明できこえないようでも、
心は通じるものだから、天寿を全うされるため
に、多勢のご親族の前であえて話を切り出した。
’現在、豊かに暮らせるのは、ご両親の御蔭
ではありませんか?
厳格に育てられて、ずいぶん辛い思いも
されたかもしれませんが、明治の方は、
現代のように、日本が経済大国でなかった
ので、私どもが想像つかないような
ご苦労をなさっていたと思います。
私は、世間一般の医者とちょっと違って、
まごころ医者 です。とにかく、90歳の
年齢に免じて、お母様を許してさしあげ、
感謝の思いになってください。
みんな仲直りして、お母様に、
’ありがとうございました。
みんな仲良くしますからご安心下さい’と、
手を握ってあげてください。
きっと、あなた方のことが、長い間
気がかりだったに違いありません。’
すると、翌日になって、’あの、おばあさん、
昨日まで鬼のように、怖い顔だったのに、
今朝 巡回すると、仏様のような
優しい顔になっているのですよ。
不思議ですね。’と、看護婦さんたちが
驚いて、報告してくれました。
その後、そのご家族は 付添婦さんを
断って、兄弟夫婦交替で、献身的に看護を
されました。そして、数日後、安らかに
息をひきとられました。”
核家族 になると、老家族は孤立して
生活しているために、家族との温かい団欒や
接触で得られる、精神的安定や満足が薄く
なっていく。
医療の改善や福祉の充実で、平均寿命が
延びている昨今、介護施設とそれに携わる
方達の献身的努力で、楽しく、余生を
過ごすお年寄りも 増えていることだろう。
しかし、内田医師のお話しにあったように、
究極的に、最期を迎える瞬間、愛する家族
に見守られながら、感謝の言葉を述べて、
安らかに逝きたいと誰もが願っている
と思う。
家族の中にわだかまりや不調和、軋轢や
争いごとがあれば、表面は穏やかにみえても
患者の魂には、それがはっきりと映し
出されていることだろう。
最期の最後には、自分の命の枝葉である、
息子夫婦や孫たちが 親類縁者が
元気で幸せで、優しい心持の調和の
中で旅立ちたいと願うだろう。
老齢の病を持った家族や、介護を必要と
する親と、生活していくうえには、
何かと、傷つくことも多いのは事実だ。
言った、言われた、やった、やられた、
と、私的な小さなことから、社会的
規模の事まで、落ち込まない人は
まずいないだろう。
それをどう、自分の中で昇華させて
いけるのか?忘れるのではなく、感謝へと、
気持ちを鷹揚に高めていくことが
できるのか?
やはり、親の中に流れる 連綿とした命と、
その命をこうしていただけて、生きている
という事実、それを 深く噛みしめること
だと思う。生かされている、という、
その感謝につながっていくのかもしれない。
喧嘩しても、いがみ合っても、生きている
からできることだから~と ある方に
言われたことがある。
それが後になってみれば、懐かしい、
あの時は、親は生きていた~と感慨
持てるときが必ず来るとも、言われた。
なにはともあれ、感謝 という心持は、
死と生の狭間で、介護される側もする
側も、大きな力を持つ想念であること
は間違いないだろう。
その心持を与えたり与えられたり、
そうして、生きる意欲に繋がれば、
これに越したことはないだろう。
参考資料: ”生命医療を求めて”
内科医 内田久子著 平成7年11月1日18刷発行
発行所 日本教文社
内田医師について:
昭和2年大阪生まれ・
昭和25年大阪女子高等医学専門学校(現在関西医大)
を卒業。その後 大阪大学附属病院、池田市立病院、
国立療養所、私立病院内科部長を経て講演活動
も行った。
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